11.11.2013

Robert Fripp 1974 Interview - Part 5

INTERVIEW BY STEVE ROSEN, MAY 1974
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——ピッキング・テクニックに関して、詳しく解説して貰える?
RF:人間には、手が2本ある。だからその両方を使う、という前提に立つことがまずひとつ。次に、ピッキングを担当する右手は、左手よりも重要である、と考える。たまたま私自身は左ききなのだが、それでも右ききのポジションでギターを演奏する。ほぼ全ての人がそのポジションで演奏していたから、私も同じポジションを習得した、というだけなのだが。ギターを弾くようになって随分長い事になるが、今でも逆(レフティー)でギターを持てば、ギター初心者というものがどう感じるかを経験することができる。15歳のころ、右手親指の付け根部分をブリッジに当てて、そこを支点にしてそれぞれの弦を交差するようにピッキングするという方法を修練するようになったのだが、フェンダーのギターを試すようになった際に、フェンダーのギターにはブリッジがない、それ故私の技法は困難を極めた。そこで、71年から右手を浮かせるようにし、どこにも支えられてない状態でコントロールするように務めた。これでクロス・ピッキング自体は容易になったが、さらにプレイの難易度は高くなってしまった。私もこのスタイルで完全に意志通りのプレイができるようになるまで3年を費やしてしまった。私は自己開発のためにはテクニックこそがその基盤となる、という考えを持っているので、あと5年もすれば私のプレイはより滑らかに、流れる様にプレイできるようになるだろう。またそれと同時に、私の左手親指は常にネックの裏の中心部に位置している。これが私のフィンガリング・スキルの基本となるものだ。故に、私の左手、一般にクラシカル・ポジションと呼ばれる私のスタイルはそれほどいままでと違いはないが、右手のオペレーションに関しては完全にブリッジから浮かせて多彩なコントロールをできるようにしてある。
——いつも、どんなスケールを使ってる?
RF:基本として、ダイアトニックのメジャー・スケール。次に、そのメジャー・スケールと混ぜて使うことのできる、ルート音を下げたドリアン・モードを。それから、マイナー・スケールを。ホール・トーン・スケール(全音音階/オクターブを6つに均等分割したもの)を使うのも好きだ。だが、どんなスケールかは大した問題ではない。どんな音楽を作るか、に全ては依存するのだ。たしかに、メロディーをもとにして想像力を想起させることは、ベストな方法のひとつとも言えるが、「素晴らしいメロディーだ」「素晴らしいコード・チェンジだ」なんていう部分がちょっとあるというくらいでは、満足できる楽曲の完成にはほど遠い。これは私が完全に、圧倒的に断言できることだが、キー、スケール、すべてを変えて、それでも同じように演奏できるように、という練習をしたとしても、ステージの上に立った瞬間に、それら練習で学んだことを全て忘れてしまえば、それだけの話だ。私は音楽の練習において、そういった形にハマった練習方法というものを、認めることはできない。


※「精神異常者」の元になった、ということになる、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップの「ERUDITE EYES」。うーん、あまり似てませんが、先生がそう仰るのなら、多分そうなんでしょうね(笑)。
——キング・クリムゾンのあらゆる素晴らしい楽曲群が作られる上で、もっとソロを弾きたいとか、即興でインプロを入れたい、と思うもの?
RF:場合による。いくつかの曲、たとえば「21世紀の精神異常者」のような場合は、そういうプレイをするために作曲したものだ。その意味で、私が初めて作った曲は、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップの「ERUDITE EYES」だった。「精神異常者」は、そこから更に論理的な発展を経た曲、とも言える。キング・クリムゾンが今ライヴで演奏する音楽とは、言うなれば「ビル(ブラッフォード)、とにかく音楽をスタートさせてくれ、後はお前さんについていくよ」といったようなものだ。ただし、メンバーが皆お互いの演奏をそれほど注意深く耳に入れないこともあるので、そうそう自由にインプロビゼーションできるわけでもなく、限られた場合のみそれが可能になる。またインプロを繰り広げる相手、その組み合わせによっても、それはまた違った配慮が必要になる。
——ギターではない他の楽器が、ギターに変わってメインとなることもある?
RF:クリムゾンのレコードを聴けばわかると思うが、ギター・プレイなどというものは、クリムゾンが行なっている物事の中ではいつも、ほんの小さな一部分にしか過ぎないのだ。その理由ともいえるひとつには、他のミュージシャンがどんな展開を繰り広げるのか、どう発展していくのかを開発することこそが、私のささやかな幸せでもあるからだ。それ故私の役割というものは、その場全体のオーガナイザーといったものに近いだろう。しかしながら、同時は私はギターを演奏する。だから、他のメンバー達が私自身のプレイにそれほど興味を示してもらえないようなことがあれば、それは私のフラストレーションになる。
——プレイする際に、手にはオイルとかパウダーの類いは使用する?
RF:ライヴの際には天花粉(註:最近の方には馴染みが薄いかもしれませんが、昔のベビーパウダーのこと)を使ったりもする。でも殆ど使わない。それほど手に汗をかくタイプではないので。むしろリラックスするために使ってみる、という目的のほうが大きい。プレイするためには、リラックスすることが必要だ。自分の手と頭、その相互関係でこなす仕事だから。もちろん家にギターを置き忘れるようなことのないようにするためにもリラックスは必要なのだが。たいていのギタープレイヤーは、たった1本の弦を1時間も2時間も演奏することに神経を注ぎ、その音を必死に耳で確認しようとしてしまいがちで、その次に鳴らすべき音を忘れてしまってる。
——「21世紀の精神異常者」の間奏では、もの凄い速弾きを披露してるけど、あれはどうやって?


※ご承知の方も多いと思いますが、実は60〜70年代のキング・クリムゾンのライヴ映像というのは極めて少ししか残されていません。「精神異常者」に関して、ほぼ唯一、と言っていい程に残されている当時の映像がこちらですが、これもフルの映像はありません。69年、ハイドパークでのライヴで残されたライヴ動画。ピッキングの参考には一切なりませんが(笑)とても貴重な映像です。
RF:ピックをダウン&アップ、それだけだ。ピッキング・テクニックというものは、オン・ビートの時にダウンで、オフ・ビートの時にアップで、というのがベーシックな考え方だ。それをあえて逆に使う人もいるが。私の場合はダウンビート(註:譜面的解釈でいえば2/4拍目。ただし概しては強い拍のタイミングを指す)の際にはダウン・ピッキングを用いるが、例外的に、それまでの流れの中でフレーズにアクセントを付けたい場合、またはアクセントがあちらこちらに存在する中で、シッカリとアクセントの場を表現する場合、そういう時にはあえてアップ・ストロークからスケールランを開始する場合がある。私はマンドリンの技法でもあるフォロースルー・テクニックも同時に用いる。弦が変わっても、ダウンストロークの場所であっても。たとえば、誰かが4つのノートを演奏したとしよう。誰かが16分(音符)でそこにあわせるとする。私ならその際に、弦を変えても(註:たとえば3弦/4弦を交互に、という意味)もしくは同じ弦をアタックし続けるとしても、ダウン/アップ/ダウン/アップ、というピッキングを推奨する。言い換えるなら、誰かが弦を移動させた時に、もしアップストロークを使うのであれば、それはリズムの流れを止めてしまうのだ。もしピックを使わないフレーズの場合、この問題においては多少のアドバンテージがある。アコースティック・ギターをプレイするのであれば同様にアドバンテージがあるが、左手の押弦にはとても注意深いケアが必要となる。多くのフレーズを、ダイナミクスを十分に生かして、そしてリズミックに演奏する、その為には、少なくとも私にとってはピックは不可欠なモノだ。これは演奏技術の熟練のために回答したのであり、本来ならば、どんな場合においてもやりたいようにやればいい、というだけだ。全てはどんな音楽をフォローするかによる問題であり、あの方法がダメこの方法がダメ、といいたいわけじゃない。音楽の熟練と拡張のために、音楽のスキルを使う、ということだ。ところで、どうやって速く演奏するかって? 地獄のように練習するだけだ。


※写真は72年、イエスのドラマーだったビル・ブラッフォードがキング・クリムゾンに参加する旨を伝えるメロディーメイカー紙の1面。
——いつもどうやって、どのくらい練習してるの?
RF:プロのギタリストになろうと思ったとき、仕事はまったくなかったのもだから、3日間ぶっ通しで、1日12時間はギターを弾いてた。69年にアメリカに渡ったときも、1日に6〜9時間は練習するようにした。日々の練習として色んなスキルを全部やる、というわけではない。日々の鍛錬で最も重要なのは、しっかりとエクササイイズ(肉体的な運動)する、ということだ。もし君の雑誌の読者達が楽器を演奏できるようになりたい、と考えているのならば、とある一定時間のトレーニング・システムを組んで、それに取り組む必要がある。また、それを毎日続ける必要もある。そうでなければ、何ら達成感を得ることはないだろうし、もしその方法を続けたとしても、達成感は急に訪れるものでも決してない。先ほど言った状況での練習方法を続けても、なにかしらの向上も自覚できるものではないだろう。しかしある日、プレイヤーとして、もしくはひとりの人間として、何かを成さねばならないというシチュエーションに立ったときに、それが出来るようになるのだ。その時に彼は気付くことになる。そのシチュエーションに出会った時というのは、そのシチュエーションを克服できる時なのだ、と。そしてそれまでの何年もの長い時間をかけたハードな練習の積み重ねは、無駄ではない、と実際に感じることになるだろう。何ら、無駄な時間などない。全ては「何を望むか」に関連するということだ。私はギター・プレイに関して、ある部分では、肉体というものと人格、魂、精神というものを結びつける役割を担う、とも考えている。バンドで仕事をするということは、魔法を生み出すためにはなかなかいい職場でもある。わかるだろう? 私は自分をミュージシャンだとは考えていないんだ。


※フリップが立った!(笑)
もう一度言おう。先ほども言ったように、私はギターという楽器は極めて非力な楽器だと考えている。自分の持ってるツールを手に取り、使い、出来る事を為す。自分の演奏に最も影響をもたらすものというのは、他ならぬ自身の心の有り様なのだ。つまり、もし1週間練習をしなければ、1週間その人の筋肉は動いていない、という肉体の問題とも関連する。私はギタリストになることよりも、ミュージシャンになることに関心を抱くタイプだ。ミュージシャンでいるということは、音楽を生み出すことを意味し、ギタリストであるということは、ギターを弾く人を意味するが、それは音楽を生み出すことに直接関係のない仕事だ。しかし、私はギタリストである、という役割を全うし、そこから学ぶという経験も持ったことがある。イギリスのロキシー・ミュージックというバンド出身のブライアン・イーノと私の共同作業で、アトランティック・レコードのために『NO PUSSYFOOTING』というタイトルのアルバムを作ったのだが、これは私が行なった活動の中では最も表現力にあふれたアルバムだ。それはギターの音しか入っていない。しかし、収録曲「HEAVENLY MUSIC CORPORATION」等は、たった2本のギターから生まれたサウンドのコラージュでビルドアップされた曲なのだが、まるで50本のギターが一カ所で同時演奏されたかのような効果を生み出している。


※フリップ&イーノ、という奇才2人によるジョイント・アルバム「NO PUSSYFOOTING」は73年発表。こちらの動画はその収録曲ですが、すでにこれだけで21分あります(笑/アルバムは全2曲)。
——自分がミュージシャンだとは、一度も思ったことはないの?
RF:たまには、(バンド等の)形式が活性化した時などはそう思えることもある。21歳の時に、私は音楽というものを聴いていないのではないか、音楽それ自体にそれほど興味を持っていないのではないか、と気付いた。以来、音楽を聴くという行為に興味を抱くようにはなったが、ある典型的なシチュエーションの中でギター・プレイヤーになりたい、とは思わなくなった。今私が言ったポイントは、私の立ち位置から見える音楽の姿のことであり、それは他の人々の多くが見ている音楽の姿ではないのだろう。私が言いたいのは、私の人生にとってもっとも重要なこととは、ハーモニーを生み出すことであり、そのハーモニーの組み合わせから成るとある場所へ、と聴く者を誘う音楽を作ることだ。

Interview by Steven Rosen in 1974. / Article written in 1974, revised in 2013.
Translated by Tats Ohisa. ©2013 Steven Rosen / Buzz the Fuzz

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11.08.2013

Robert Fripp 1974 Interview - Part 4

INTERVIEW BY STEVE ROSEN, MAY 1974
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※当ブログでも既に何度も掲載しましたが、74年のフリップ先生のペダルボード。詳しくは別項にて記載したいと思いますが、この時点での使用ファズはギルドFOXEY LADYで、中身はトライアングルBIG MUFFとまったく同じもの。またワトキンスCOPICATを2台使いしてますね。フリップ先生はギターのインピーダンス変換のためにギター本体のツマミではなくボリューム・ペダルを活用してます。インタビューには出てきませんが、上の写真では西独シャーラー製のボリューム・ペダルを使用。
——ピックとか弦は、どんなのを使ってるの?
RF:三角(オニギリ型)の鼈甲ピックで、あまり固くないもの。私にとってピッキング・ワークこそが重要なものなので、ハードなプラスティック製のピックは私には使えない。弦は、ジョン・アルヴェイ・ターナー(註:イギリスの老舗弦メーカーで、主にアコギ用の弦、バンジョー、マンドリン等の弦を取り扱うブランド)のライトゲージを使うが、3弦の部分だけはミディアムゲージの2弦用を用いる(註:当時はライトゲージでも3弦は巻弦でした。それをいやがって、3弦でもプレーン弦を用いたという意味)。殆どのギタリストが重要視することではないが、細い弦だとあまりにも緩いテンションのために正確なピッチを紡ぎ出すことが難しい。しかし私は3度や10度といった和音を多く使うものだから、どうしてもセットのままでの3弦を使うことが許せなくなったんだ。昔は、弦高もなるべく低くしよう、と考えてたものだが、最近ではもっと高く、中の上、というくらいになったね。
——どんなペースで弦は交換してるの?
RF:大抵の場合は、2度ライヴをやった後に。昔は1週間くらいは放ったらかしにしていたが、時間とともにどんどん弦のエッジがなくなっていくと気付いてからやめるようにした。キング・クリムゾンで、もしくは熱意をもって取り組めるスタジオ・ワークでプレイする際には、私は2日おきに弦を変える。
——アコギとエレキの場合では、大きくかわるもの?


※既にご承知のとおり、フリップ先生はアコギの名手でもあります。ただし74年当時はアコギに活路を見出していなかったのでしょうね。後にフリップはクリムゾン解散後に「ギタークラフト」というアコギ学校を開設(生徒は全員オベーションのアコギを使用して授業に参加しています)。まあ、そちらも「演奏ではなく、精神修養の場」とのことなのですが(笑)。
RF:アコギで私が夢中に演奏できたのは、マーティンだけだ。そう、(エレキギターとは)まったく違った楽器といえる。なんといっても全く違う時間感覚を操る楽器だから。エレキギターの場合はコンテンポラリーな楽器で、電気の力を使うことで、それこそ未来へと繋がる楽器だ。しかし、未来においてアコースティックギターがどんな立ち位置にいるのかは判らない。また、演奏する上においても技術的にはまったく違った体系を持っている。もしアコギ・プレイヤーがいれば、彼にとって最初の課題はどんな「音」を出すか、だろう。ロック・ギタリストがアコギを弾く場合の音は、いつも酷く堪え難い程に貧相な音だ。アコギを弾くという行為は、それだけでアートと呼べるようなものなんだ。ただシンプルに、アコギでローポジションを使ってCメジャー7を寂しげに鳴らす、それだけでもう明白に理解できるハズだ。しかしエレキギターの場合がどうかと言えば、寂しげもクソもあったものではない。少なくとも同じようには響かない。アコギには1つか2つ、とても興味深い側面があって、それはそのアナクロ主義、なのだ。既にもうコンテンポラリーな世界に存在する楽器ではない。今日的な効用を考えればエレキギターこそがやはり創造性を保持した楽器なのだ。
——アコースティック・プレイヤーの音楽はあまり聞かない?
RF:ジュリアン・ブリーム(イギリス出身のクラシック・ギタリスト)は好きだよ。
——いつもトーンとスイッチはどういう位置に定めてるの?
RF:音楽がどんな音を必要とするか、による。ボリューム・コントロールのために、私はフット・ペダルを使う。ギターのボリュームをフルにした時に初めて正確な出力インピーダンスというものが得られる。その場合私はギターのボリュームはフルにしたままだ。10、という意味だな。しかしそこには例外があって、ギターのインピーダンスを変えることによって、私はエレキギターを使いながらもまるでアコギのようなサウンドを生み出し使うことがある。その場合、ギターのボリュームは6〜8といったポジションにする。8.5といったポイントを越えれば、インピーダンスは一気に変わる。そのインピーダンスの跳ね上がりこそが、サウンドのバラエティーを生み出すのだ。そのために、ギターではなく、フット・ペダルにてボリュームを操作する。


※なんと、こんな恐ろしい写真が登場しました。こちらは伝説的、というかペダルボード制作の第一人者ピート・コーニッシュが自身のフェイスブックにアップしていた写真で、1973年のロバート・フリップのペダルボードのアップ画像です。まず一見してわかるのは、ペダルは全部外部フットスイッチでオンにするようになっていますね。おそらくトゥルーバイパスにするためかと思います。上のボードは一番上で掲載した74年のTVライヴでも使われていたもので、ファズがFOXEY LADY、真ん中のボリューム・ペダルが(おそらく)FARFISAのもの、左がワウ。ワウはおそらくCRYBABYだと思われるのですが、筐体の塗装がはがされており、ラバーの形から推測すると67年英国製のVOXワウ(グレーハンマー塗装)の可能性もあります。ただしピート・コーニッシュが何らかのモディファイを施した可能性もあるので、何とも断言できません。©2008 PETE CORNISH

※下の写真は翌74年に制作されたサブのボード、とのこと。ファズは同じくFOXEY LADYで、真ん中のボリューム・ペダルはディアルモンド製、左のワウはCRYBABYなので、ほぼ同じセットを用意していたことがうかがえます。©2008 PETE CORNISH

——そのボリューム・ペダルはどんなもの?
RF:私の知る限り、一番安いモノだよ。そして私が使った限りでは全ての面で納得のいく効果を生み出すものだ。たしかFARFISA(by CMI)のペダルだったと思う。私が使った中ではベスト・ボリューム・ペダルだね。完全に音をオフにできて、しかも可変幅もワイドに操れる。素晴らしいペダルだよ。ステージ上では、私は3つのペダルをボードに設置する——ボリューム・ペダルと、ファズと、ワウ。まあファズとワウはゴミみたいなものだが、ワウはどんな種類のものなのかはわからない。最も素晴らしいと思ったファズは、バーンズのBUZZAROUNDだ。イギリス製で、もう既に6年程前に廃盤となってしまったペダルだ。私は2ケ持っているが、今ではもうそれをペダルボードに組み込むことはなくなった。ペダルを増やそうとすれば、ケーブルもどんどん長くなり、それにつれて音は劣化し、音量も小さくなる。ゲインも減少する。ここで重要なのは、ワウとファズはノックオフ・サーキットにすることだ——言い換えるならば、通常演奏するときは、ボリュームはフルの状態で信号が送られ、そしてファズとワウを使うサウンドに切り替える場合は、別のラインを通じてファズとワウに繋がるようにするのだ(註:ようはABボックス、もしくはスイッチャーのような機能を使って、エフェクトOFFのときはペダルを経由させない、という意味)。ファズやワウを使わない時は、サーキットにそれらの回路を関与させない。そうすることで信号の経由もシンプルに短くなり、信号のレベルもキープできる。私はワトキンスのCOPICAT(テープエコー)も使用するが、まあなかなか悪くはないのだが、取り立てて素晴らしいという機材でもない。私が望む機材としてはそれで十分なのだが、それほどテープエコーに関しては種類が豊富なわけでもなく、エッジが失われないことはいいことだ。ステージの上で、特にホールで演奏する場合の出音というものは得てしてデッドに鳴りがちだからね。ファズに関しては、どんなものでもそれほど構わない。他に気にするポイントが山のようにあるから。
——でも、あなたのサウンドと同じサウンドを欲しがる人にとっては、どんなファズを使っているかは重要なんじゃない?
RF:いや。私はどんなファズを使用したとしても、同じようなサウンドを出せるのだから。それは機材の問題ではない。
——ライヴ盤『アースバウンド』ではそれほどワウを使ったプレイをしていないようだけど、なぜ?
RF:ワウを使ったプレイというものが、すっかり「普通で退屈な行為」になってしまった。私にとってはくだらないものに映ったからだ。


※正確な年代が不明ながら、69年か、70年、と思われるスタジオ写真。バーンズBUZZAROUNDが見えます。また、この時点で既にハイワットのスタック・アンプを使用していることも確認できますね。
——自分の音楽が、楽器/機材(の流行)のせいでなにかしらの犠牲を支払うことになってしまった、と?
RF:まあ、そうとも言える。あー、いま君が言ったように感じることも確かにあるよ。もしだれかが陳腐な音楽を演奏をしてたとして、その演奏者が「よし、もっとエキサイティングにしてやるぞ」と感じたときにワウを踏む、なんてことはしばし見る機会があるだろう。だがそれは「逃げた」と言えるのではないか? もしそう思ってワウを踏んだら、それは「逃げ」だ。時によっては、私も演奏力の足りない部分を補うために、機材を使っているが。
——アンプはハイワットのスタックだよね。
RF:いろんな多面性をもったアンプだからだ。私がサウンドを変えたい、と思った時とても有用なアンプだとも言える。また、エレキギターには本当は真空管アンプは不向きだ、とも考えている。キャビネットはエレクトロ・ヴォイスのスピーカーをセットした、新しいものをカスタムメイドしてもらったのだが、これには感動したね。昔はマーシャルも使用したのだが、まあその時はマーシャルでもよかったのだけれど、ハイワットを試してからは、よりそちらの多面性に興味を持つようになった。ライヴで轟音を鳴らす、というだけならまあマーシャルでも十分だと思う。ここ最近は皆が一様にマーシャルを使うわけでもなくなったよね。今後は皆、ハイワットのような音に移行するんじゃないかな。


※実は検索しまくったのですが、FARFISAというブランドのボリューム・ペダルで、フリップ先生の足下にあるものと同じ形のものを発見できませんでした。もしご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただけれると嬉しい限りです。写真は同ブランドのボリュームペダルですが、別の形、ですよね。同社はオルガン用のボリュームペダルを多数発売していたり、トレモロ機能付きボリュームペダルなんかもあったりするのですが、詳細は不明です。ギターの歪みをボリュームでコントロールする場合、入力/出力インピーダンスの数値が重要になりますが、インタビュー文から察するに、おそらくフリップ先生の音のキモはそこ(ボリュームペダル)なんじゃないか、と睨んでいます。
——アンプとギターの接続は、どんなカンジ?
RF:アンプはブリリアント・チャンネルにプラグインしている。そして、ノーマル・チャンネルにもジャンプさせる。言い換えれば、ブリリアント・チャンネルの信号をノーマル・チャンネルでも鳴らすことになる。これでボトムの成分を追加することができる。ハイワットは、ブリリアント、ノーマルの両方のチャンネルでボリュームをコントロールでき、さらにマスター・ボリュームで全体の音量を調整できる。もしクリーンなサウンドを出すという場合は、チャンネルのボリュームを控え目にして、マスター・ボリュームを上げる。トーンをハッキリと変えたい、という場合は、2つのボリュームの中間にあるレシオ(トーンつまみ)で変化を付ける。歪んだ音が欲しい場合は、各チャンネルのボリュームは共に上げて、マスターボリュームを下げる。これで、小さな音量であっても十分に歪みを得られる。また、ギターのボリュームをフルにしていたとしても、歪み量を調整することができる。
——あなたのギターは、ピックアップ・カバーが3つとも外されてるよね?
RF:グレッグ・レイクが教えてくれたんだ。そっちのほうがいい音になる、と。私本人にはどっちがいい音なのかいまだに判ってはいないのだが、一度外してしまったものだから、以降そのママにしてある。戻すのが面倒くさいだけだ。


INTERVIEW BY STEVE ROSEN, MAY 1974
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11.04.2013

Robert Fripp 1974 Interview - Part 3

INTERVIEW BY STEVE ROSEN, MAY 1974
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——またあなたの初期の頃の話に戻るんだけど、何かレッスンを受けたりしたの?
RF:ああ。ギターを初めて3ヶ月程は独学で、特に基本的な譜面読みばかりやってみたのだが、その後ギターのレッスン、それから音楽理論のレッスンに通った。理論の方は、ピアノの講師をやっているという人——ただしギターなんて全く弾けなかったが——そういう人が私の家の近くに住んでいたので。だがそこでの音楽理論のレッスンこそが、私に音楽理論のバックグラウンドを与えてくれた。1年かそこらが経って、そのレッスンで私は最も優秀な生徒——これでも控えめな表現をしているのだが——になったものだから、今度はボーンマスに住むドン・ストライクのもとへレッスンに通う様になった。彼は30年代スタイルの素晴らしいプレイヤーでもあった。30年代の音楽に関してはマルチ・プレイヤーでもあり、マンドリン、バンジョー、ギターも演奏できた。彼のもとで、いわゆるエディー・ラングのスタイルを全て習得した。私にとって、楽器の基本的なトレーニングとなった。彼はよく私に言ったものだよ、「テクニックこそが、最も重要なものだ」と。
——さっき話にも出たように、あなた自身はそのコメントに異を唱えそうなのだけど。
RF:同意できない部分もあるが、それと同時に他の殆どの事に比べればテクニックというものの比重は大きい、という意味では同意できる。ただし、たいていの場合において私は「テクニック重視」というものを非難している。ドン・ストライクの元で2年レッスンを受け、その後程なくしてあるジャズ・ギタリストからのギター・レッスンを受けることにした。ドン・ストライクはあまりにもオールドファッションなスタイルで、彼の影響から抜け出すのに随分時間がかかってしまったんだ。だから今度は「ジャズ・ギター科」の単位が欲しくなった、というカンジだ。こういう言い方、好きだろう?
——我ながら馬鹿馬鹿しい、と思ってる?
RF:いやいや、違う。私は「ジャズ・ギタリストになろう」とも「クラシック・ギタリストになろう」とも「ロック・ギタリストになろう」とも、いずれも決して思ったことはない。私はそれらのイディオム(語彙)を全て複合したプレイヤーという存在でもない。私は、創造性に必要なものは、私自身から生まれるイディオムだ、と考えるのだ。私自身が演奏してハッピーだと思えるイディオム、だね。というのも、他のイディオムを使ったプレイでは、私は決してハッピーにはなれないのだから。
——ああ、やっぱりそう思うんだ。
RF:ああ。
——鍵盤のレッスンを受けた事は?
RF:ピアノ? ない。今から1年半くらい前にたった1度だけ、受けたことがあるが。
——どんなギタリストを良く聴いたりするの?
RF:えーと、私は決して「ギタリスト」の音楽を聴いたりしないんだ。なぜなら、まったく興味がないので。実際、ギターというのは非常に非力な楽器だ。アコースティック・ギターなんてのは、もう時代錯誤も甚だしい。ただしアコギには1つや2つ、どうしても魅力的なサウンドがあるのも事実だが。とはいえやはり「時代錯誤」だ。現代の音楽の編成にはまったくフィットさせることが出来ない。現代の音楽の編成、という意味ではエレキギターこそが唯一の「希望」なんだ。ギターという楽器が想像性豊かであり続けるための「希望」という意味だ。もちろん個人的な考えだが。
——ギターがあなたをそこまで魅了してしまうのは、何故なんだろう?
RF:いや、ギターに関して、何ら魅了なんてされてはいない。
——では何故、オーボエではなくてギターという楽器を選んだの?
RF:さっきも言ったように、理由なんてない。昔を振り返って、その時の生き方が見えて、実際の状況を確認して、望まざる方向に導かれたとかなんとか、そんなのはメロドラマ的に過ぎる。もしくは馬鹿にされてしかるべき考え方だ。その時その時で人々は何かによって確固たる状況に導かれるものであり、我々が最もすべきことというのは、その時正しいと思えた道、思えた方向を追いかけるだけだ。
——あなたはギターを弾くように、導かれた、と?
RF:時々思うんだが、人というのは得てして最悪の動機によって物事をなす生き物のようだ。例えば、もし君がヒーローになりたくて、ギターの演奏を選んだとする。その時君が私に言うであろうセリフは、私にとって全くもって意味をなさない言葉だろう。そんなことは誰にだって判る。しかし、私がさっき言ったように、私がもっとも酷い動機によって何か事を為すことがあったとすれば、他の誰かもそのシチュエーションにのめり込むことになるだろう。自らの動機を捨ててまで、ね。そしてその時その彼は気付くのだ。理由などどうあるかは関係なく、自分自身のモチベーションに基づいた行動こそが、自身を確固たるポジションに置いてくれることのできる唯一の理由なんだ、と。


※フリップ先生は47年生まれなので、50年代半ば、プレスリーのデビューをほぼリアルタイムで経験したことになります。動画はプレスリー初期音源の中でも最も有名な、サン・レコード録音の「MYSTERY TRAIN」で、もちろんギターはスコッティー・ムーア。実は同曲はヒドイ音質の音源が長々とCDに収録され続けていますが、是非このSP盤音源での収録をお願いしたいものです。
——クリムゾンは、シリアスなバンドだよね?
RF:私は一切シリアスに物事を捉えたりしない。
——いつもどんな音楽を聴いてるの?
RF:10歳とか11歳の頃、ロックンロールを聴き始めた。一番最初に私の心をつかんだのは、スコッティー・ムーアが演奏している初期のサン・レコードの音源だ。13歳になるころに、私がトラッドなジャズにのめり込んだ。そして15の頃には、モダン音楽/クラシック音楽にのめり込んだ。私がプロになる直前、ジミヘンやクラプトンの音楽も聴いてみた。ジミヘンの曲で、2〜3曲くらいは楽しめるものもあったよ。それほどロック色の濃い曲ではなく、スロウな曲だったと思うが。ただし私はそういう、後の人々が良く口にするような音楽的な意味では、ジミヘンやクラプトンからは影響を受けていない。私はジミヘンをギタリストだとは思ってない。私には、彼がそれほどギターの演奏に真剣に興味を持っていた、とはとても思えないのだ。彼は何か伝えたいことがある、というただのひとりの人間であって、そして実践し、ただそれを伝えた、というに過ぎない。クラプトンの場合は、私に言わせればもっともっと陳腐な存在だ。しかしながらクラプトンは、ジョン・メイオールと共に制作していた頃、彼の初期の物の中にはいくつかエキサイティングなものもある。『ジョン・メイオール・ブルース・ブレイカーズ(ウィズ・エリック・クラプトン)』、あのアルバムは本当に素晴らしい。クラプトンの演奏が特に素晴らしいんだ。クリームのライヴは、1度だけ見た事がある。こりゃ酷いな、と感じたね。クラプトンの仕事がどんどん退屈になっていったのは、あの瞬間以降のことだろうな。ジェフ・ベックのギター・プレイは賞賛に値する。なぜならとても楽しいから。多くのギタリストとか、もしくは「ポーズきめて、エゴ丸だしで、ロック・スターで、楽しませてやるぜ」とか言い出す輩は、今言ったようなどれかしらの一部に「パッケージ」されている。別に私はそれを卑下するつもりは全くない。楽しめる、エンジョイできる、エキサイトできる。だから私はジェフ・ベックには幸運がもたらされることを祈るよ。


(写真上)70年代クリムゾン在籍時のロバート・フリップの代名詞ともいえるレスポール・カスタムは59年製で、フロントのみゼブラ、他2ケがブラックボビンという3つのPAFを搭載。フリップは自身のブログではこれを72年に購入した、と発言していますが、69年7月のハイドパーク・コンサートの時点でこのギターを所持していることからも、おそらく勘違いではないかと思われます(多分下に掲載した2PUのLPCのことか、と)。59年LPCはロンドンのデンマーク・ストリートの楽器店にて購入してますが、その楽器店いわく、このギターはフリップが入手する以前はスモール・フェイセス時代のスティーヴ・マリオットが所有していたとのこと。

(写真下)また、72〜73年頃には2PU(ともにブラック・ボビン)でワッフルバック・チューナー仕様のレスポール・カスタムを使用したことも確認出来ますが、そちらはそのスペックから68年以降の再生産レスポール・カスタム(メイプル・トップ)であることが判ります。加えてフリップはもう1本3PUのレスポール・カスタムを所持していて、そちらは57年製。こちらはPUのカヴァーが外されておらず、ソロ作『エクスポージャー』以降の作品で使用されたもの。59年のカスタム、57年のカスタム、61年のストラト、ES345等は、フリップ本人によって08年6月に売却されています。

——キング・クリムゾンでは、どんなギターを使用してたの?
RF:レスポール。これは私が68年の12月(註:後に11月、と本人が訂正している)に購入したものだ。それまではギブソンのステレオ(ES-345)を使用していた。
——レスポールを選んだ理由は?
RF:あれはいいモノだ、と聞かされていたから。
——誰から聞いたの?
RF:皆、そう言ってたんだ。トレンド、だったんだろうね。だから私も「ああ判ったよ、試してみよう」となった。私は長い間フェンダーのギターが好きになれなかった。でもここ2〜3年前から、フェンダーも入手してる。投機目的でね。実際に今年から、試しに1本演奏するようにもなった。なかなか気に入ってるよ。レスポールに比べればよりコード演奏向きに特化してるとは思うが、やはりソロ・ノートという点ではレスポールに軍配が上がる。
——フェンダーの、どのギター?
RF:ストラト(註:フリップが所持したストラトは、61年製のスラブローズのストラトで、丁度この頃ジョン・ウェットンに一時期貸与されていたもの。オリジナルはサーフグリーンだったようだが、後にサーモンピンクにリフされている。80年代以降は、スタジオでもいくつかの録音で使用された、とのこと)。私が15歳のころ、親指の付け根をブリッジの上で支点として利用する、というスキルを習得してたのだが、今は親指の付け根の部分、それ自体を支点として使うようになった。
——演奏面で、フェンダーは使い勝手が大きく違う、と感じた?
RF:フェンダーのギターには(ギブソンのような)ブリッジ構造がないので、とても難しいと感じた。71年、今から2年ちょっと前の事だが、ブリッジから掌を浮かせて、今までとは違った右手のアプローチというものを研究するようになった。右手には一切干渉する箇所がない、という状態でね。手首は完全にギターの弦の上に浮いていて、各弦を横断するクロス・ピッキングというスキルにおいてはより容易になったと言える。しかしながら、私のプレイというものはそれだけで済むようなものではなく、まだまだ修行が必要となるだろう。完全に自分のものとし、それまでとの違いを明瞭化し、演奏力と完全に統合できるようになるまで、3年はかかるだろう。5年も経てば、流れるように流暢な演奏へと変わっていくだろう。私がテクニックというものに惹かれるのは、自己の可能性を広げるという意味で最もベーシックな部分だからだ。やってみて、すぐに「完璧にこれを習得しよう」と決心した。たまに自分でも自分の(左手の)親指がネックの真裏に位置していることに気付くのだが、これから習得しようというスキルのためにも、この場所は決してデメリットにはならないだろうと思う。故に、私の左手のポジションは、純粋にクラシック・ギターの奏法と極めて近いものだが、私の右手に関しては、完全にギターから浮いていて、何にも支えられていない。もちろんこれは、ギターをコントロールする、という指標に経って定めたものだ。
——他のギタリストで、そういうプレイ・フォームをしてる人って、誰かいる?


※ジョージ・ヴァン・エプス(1913-1998)は、ジャズ・ギターの世界に7弦ギターを持ち込んだ人で、7弦ギターのパイオニアと言われているギタリスト。フィンガーピッキングするので手首が浮いているのはある意味必然なのですが、彼の場合、使用しているギター(グレッチのVAN EPSモデル)にはフローティング・フォーク・ユニットというちょっと変わったパーツがついており、最初からブリッジミュートできない、という構造になっています。
RF:定かではないのだが、ジョージ・ヴァン・エプスはそういうスタイルだったと思う。私の言ったことを確認したいという人がいれば、「カルカッシ25の練習曲」を演ってみることだね。イギリスでそれをできたギター・プレイヤーは殆どいないが、クリス・スペディングはそれを試した事があるといってたな——全くマスターできなかったそうだが。まあ彼の場合は、そういう技術の習得に熱心になるというキャラクターではないから、諦めてしまったのだろう。彼にとっては「ギターなんて馬鹿げた楽器じゃねえか」という思いもあったのではないか。そういえば、以前ピーター・バートというギタリストがいた。確か彼は今学校の先生かなにかだったと思うのだが、いま彼はエセックスでギター・レッスンを開いてもいる。彼も私と同じくドン・ストライクの元でギターを学んだ人物なのだが、しかし彼はプロのギタリストにはなれず、私がドン・ストライクから学んだものと彼が学んだもので何が違うのかは全く判らない。彼も私も同じように、1〜2曲、ドン・ストライク作の曲の演奏方法を学んだだけなのだが。
——今ギターは何本持ってる?
RF:覚えてないな。
——(レスポールが)何年のモデルか、わかる?
RF:知らないな。私が使ってるレスポールは、シリアルに53と書いてある。53年製、の意味なのか?もっと若い時代のものだと思うが。
——何年製か、わからないの?
RF:さっきも言ったように、ナンバーは53とかなんとか書いてあるが(註:実際にプリントされてたシリアルは「9 0993」で、59年製)。いずれにせよ、ギブソンの初期のギターで、50年代のものであるのは間違いない。ギブソンのステレオ(ES345)は63年頃の製造。フェンダーのギターは1本が66年頃のもので、もう1本63年頃のモノもある。アコギでは(ギブソンの)J-45を持ってるが、いつの製造なのかはまったく判らない。ヤマハのアコギも——たしかヤマハの最も高級なモデルだったと思うが——それは私のギタープレイのファンだという人から貰ったものだ。戦前のアコギ、同じく戦前のギブソンのテナーギターも持っている。誰かから譲り受けた、酷い品質のソリッド・ギターなんか持っている。
——フェンダーの、正確な年代は判らない?
RF:長らくフェンダーのことが大嫌いだったので。フェンダーのギターを買ってみたのもここ2〜3年という最近の話で、使ってみたのも最近の話だし、もともと投機のつもりで買ってみたものだし。本気でストラトに取り組んでみたのは今年の話だ。まあ気に入ってるよ。レスポールよりもコード奏法向き。レスポールはソロ・ノート向き。


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11.01.2013

Robert Fripp 1974 Interview - Part 2

INTERVIEW BY STEVE ROSEN, MAY 1974
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※イギリスDERAMレーベルより68年に発売されたジャイルズ・ジャイルズ&フリップのアルバム「THE CHEERFULL INSANITY OF〜』。フリップとジャイルズ兄弟、という構成であることから、プレ・クリムゾンの重要作でもあります。タイトルやジャケからもお分かりの通り、シリアス路線をひた走るクリムゾンとは違って、この時期は茶目っ気たっぷり、ちょっとノベルティー・アルバムぽさも持った作品です。下の写真は同作のアメリカ盤ジャケ。

——ジャイルズ兄弟と一緒にライヴをしたことは?
RF:ライヴはやってない。誰もそんなオファーをする人がいなかったから。一切なかった、1度のライヴさえも。あるイタリアン・レストランで2週間の演奏活動を経験したことがあるが、それはジャイルズ・ジャイルズ&フリップとしてではない。あるシンガーのバックで「ビギン・ザ・ビギン」の伴奏をする、という仕事だった。それはジャイルズ・ジャイルズ&フリップではない。一度、テレビのショーに出演した事はあるが、あれは恐ろしい経験だった。後にアルバムを1枚作ったが、そちらはなかなか興味深い作品だ。
——『THE CHEERFULL INSANITY OF GILES, GILES AND FRIPP』のことだよね?
RF:我々のバンドにイアン・マクドナルドが参加した時に、一度トライしたことがある。それは「カラー・ミー・ポップ」という、なかなか面白いTV番組があって、それに出演したことだ。出演したバンドの中では、我々が最も良かった、と思ったし、一定の評価を得る事ができた(註:「COLOUR ME POP」は68〜69年にかけて英BBC2で放送された音楽バラエティー番組。当時英TV放送がカラーになったことを喧伝する目的もあった番組で、その後に「OLD GREY WHISTLE TEST」という新番組に受け継がれることになった。ジャイルズ・ジャイルズ&フリップが「カラー・ミー・ポップ」に出演したのは68年11月30日放送分)
——以降、音楽の仕事を沢山受けられるようになった?
RF:そうとも言えるし、そうでないとも言える。日々多くの練習を積み、作曲にも挑んでいた。君がジャイルズ・ジャイルズ&フリップのアルバムに関して、どれほど熟知してるかは知らないが。
——アルバムは聴いた事があるよ。
RF:もしあのアルバムに興味を持つギタリストがいるとすれば、B面に収録されている「SUIT No.1」を聴いてみて欲しい。もの凄く難易度の高い部分があるから。アレグロのパート、曲の冒頭1分30秒程のパートなのだが、1秒間で10音を私が奏でてる部分がある。とても難しい演奏だ。私がこれまで作曲し、演奏をした楽曲の中で、最も難しいパート、と言える部分だ。
——それほど難しいパートなのに、なぜその曲にはその演奏が必要だったのだろう?


※インタビュー中にも出てくる、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップのアルバム収録曲「SUITE NO.1」。フリップが言及しているのは、この組曲の冒頭1分半のこと。詳しくは後述されますが、この時期のフリップ先生はまだ右手首をブリッジ上の載せてピッキングしていた時期にあたります。
RF:私自身の、ギタリストとしての自己開発の一貫として必要だったんだ。それは精神的な意味ではない。もし君が気に入ってくれたら嬉しいけど、私があるレベルの演奏を達成するために、必要な演奏だったのだ。
——それはアコギ?
RF:いや、エレキギターだ。私は21歳の時に気付いたんだ——とはいえ、それほど早く気付いたというワケでもないが——音楽というものは表現を形態化するということを。実際に私は音楽を通じて自分自身を表現することが出来た。私はミュージシャンではなくて、自分がミュージシャンだ、と定義することはしない。事実、私がギターを弾き始めたころ、音感なんて全く持っていなかった。メジャー・コードとマイナー・コードの違いを言う事もできなかった。
——今でも、自分がミュージシャンだとは思ってない?
RF:思ってない。音楽に特別な興味を持っているわけではない。
——では何故音楽を演奏するの?
RF:表現方法として。ご希望であれば、私の人生のあり方というものを3つのキーワードで説明してみよう——私は「魔法」「女性」「音楽での表現」、この3つの為に人生を送っていて、3つとも私の関心の深いものでもある。しかしながらその他方では、私の中ではさほど大きなウェイトを占める関心事ではないながらも、私がギタリストである、という事実もある。殆どのギタリストは、ギターを演奏することに夢中になり、音楽には夢中にならない。それゆえ、多くのギタリストは得てしてひどく退屈な存在なのだ。事実「ベスト・ギタリスト」等と呼ばれる人は、私が考えているように、「ギタリストではなく、ミュージシャンたらんとしている」人々のことだ。
——例えば誰?



※「テクニック的には酷い」といいながら(笑)フリップ先生がジミヘンに寄せるリスペクトはいつも最大級のものです。こちらの動画は近年のロバート・フリップ・インタビュー音声(おそらくTV出演かなにかの音声を抜き出したもの、と推察されます)で、キング・クリムゾンのライヴを見に来たジミ・ヘンドリックスとフリップが会ったときのことを回想しています。69年、フリップとジミヘンが会ったその場所にはロレッタ・ランドという女性が同席していて、彼女は当時クリムゾンのドラムだったマイケル・ジャイルズの義理の妹とのこと。彼女は後に「ライヴを見た後ジミは『クリムゾンは世界で最もベストなバンドだ』とはしゃいでいた」ことをフリップに伝えると、フリップは「その言葉はすべてのミュージシャンにとって最大級の賛辞だ」と感慨にふけってます。
RF:例えばジミ・ヘンドリクスはギターのテクニック的には酷いものだ。
——「ミュージシャン」の定義は?
RF:実際に音楽が生み出される過程において、その器、容器、という位置づけだ。そんな馬鹿げた定義とか、無理なコジツケとか思わないで欲しい。魔法の力を備えた音楽もあれば、そうでない音楽というのも存在する。魔力を備えた音楽というのは、ある一定の形式を持っている——その形式とは(音楽への)取り組み方を支える強大なパワーが生み出すものだ。素晴らしいギタリストというのは概ね饒舌だ。彼らの生み出す音楽がたとえ貧相な音楽であっても、その音楽の中には多くの精神性、そして多くのパワーが漲っているものだから。
——多くの精神性と多くのパワーが漲っているギタリストって、例えば誰?
RF:例えばクラプトンの場合はどうか。私にとってクラプトンのプレイからはオリジナリティーというものを殆ど感じることが出来ない。私が言いたいのは、彼が仕事をしていた環境というものは、とても古くさい、限られた狭いエリアだったのだろう。しかし、彼もキャリアの初期においては、多くの「魔法」を持っていた。別な言い方をするならば、「音」それ自体は大して重要なポイントではない。重要なのは、「音」を通して出てくるモノの方なんだ。しかし、最初のほうで我々が話し合ったように、もしプレイヤーがよりフォーマルなエリア(註:レストランとかバー、もしくはパーティー・バンドといったような環境)での活動ばかりに従事していれば、クラプトンのようなクリシェの(ありふれた/常套的な)技法ばかりがプレイの土台になるのも致し方ないことだろう。「魔法」というのは、音にしみ込んでいる、といったようなモノではない。
——クラプトンは、これまで魔法を生み出したことはない、と考えてる?
RF:音楽の構成要素として、もしくは精神性を表現する手段として、どちらにせよ「音」というものはそれ単独では存在し得ないのだ。私は個人であると同時に、キング・クリムゾンの中では大半の楽曲を作り、演奏するグループの構成要員でもある。共感や同意が得られない夜がたった一晩あったとしても、インスピレーションという広大なフィールドで精神的な共鳴を得られなかったとしても、それでも音楽の形態というものは、興味深い仕事のひとつではある。ほんの限られたレベルでの「興味」だが。それとは反対に、ある夜、ふと「パワー」が漲っていれば、「音」がどうだ、とかそんなことも気にする必要すらなくなる。そのパワーはあらゆる壁を超越するのだ。そしてもちろん、素晴らしいと言われる演奏家、素晴らしいと言われる音楽家は、そうした「魔法」を持っているだけでなく、永遠にその火花を放ち、すばらしい表現形態を保持しているものだ。
——例えばどんな演奏家?
RF:「ほとんど完璧な構成と構造」を持った例、をいろいろ挙げることは誰でもできるだろう。さっき言った意味で言うなら、バルトークのストリング・カルテットはまさに驚愕に値する。マーラーの場合は、まだそこまでは達していないというカンジ。おそらくこれから100年間は、彼が天才だったのかどうか議論され続けることになるだろう。それからもちろんベートーヴェンは、素晴らしく完璧な構成と構造を持っている。どんな交響楽団が演奏したとしても、彼の音楽はさほど大きな差が生まれないものだ。大抵の場合は、音楽それ自体が他人の解釈を許さない程にきちんと構成されていたとしても、演奏家によっては多少は差が生じるものだ。もちろんこれは私個人の意見だが。


※クリムゾンの初代メンバーだったイアン・マクドナルドとマイケル・ジャイルズは、最初のアルバム制作後バンドを脱退しています。この2人は70年にアルバム『MCDONALD & GILES』を制作(発表は翌年)、なかなか興味深い作品ではありますが、商業的な失敗を経て、このユニットもそれっきりとなりました。
ピート・シンフィールドは作詞家でありながら、プログレの精神的な支柱ともいえそうな存在の重要人物。72年にクリムゾンを脱退後、73年に自らアーティストとして「STILL」(写真下)をリリース。ロキシー・ミュージックをプロデュースしたり、ELPの成功に手を貸したり、という活動も有名ですが、90年代以降セリーヌ・ディオンやシェール等に楽曲を提供、大ヒットしたことで、今も悠々自適の生活を送っている模様。

——ジャイルズ・ジャイルズ&フリップが終焉を迎えたのは何故?
RF:そうだな、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップの終焉。それは私がもう耐えきれなくなったからだ。というのも、ピーター・ジャイルズがあまりにも邪魔をするものだから。もう彼とは一緒にやっていけない、と感じた。イアン・マクドナルドやマイケル・ジャイルズに「私はピーターとはもうやっていけない」と言った。もし彼らが「まだピートとやっていけるだろう」と感じていたのなら、私もその意見を尊重しただろう。でも、私には地元のボーンマスに、ベースも弾けて歌も歌える友人がいたものだから——それがグレッグ・レイクなのだが。
——ピーター・ジャイルズはどうしたの?
RF:彼は引っ越しして、音楽の道を諦めてしまった。コンピューターのオペレーターになって、今は弁護士の事務所で働いてるハズだ。法定代理人、ていうのかな。そんなワケで、キング・クリムゾンが結成されることになった。おっと、つまらない話になったな。この部分は削除して、上手い事繋いでおいてくれ。
——キング・クリムゾンの初期は、どんなカンジだったの?
RF:1年かそこら続いたところで、空中分解、だ。その翌年には2枚のアルバム、『ポセイドンのめざめ』と『リザード』を作ったが。当時に関してはこう回想できる。丁度地ならしを終えた状態、だったんだ。メル・コリンズ、ボズ・バレル、イアン・マクドナルドが参加し、1971年をスタートさせることになった。71年の夏、アルバム『アイランズ』を制作し、秋にはアメリカ・ツアーをスタートさせた。その年は、私が再び自分のピッキング・テクニックへの研鑽を積んだ時期でもある。より詳しく説明しようか?
——71年以降は、何があったの?
RF:ピート・シンフィールドが71年の終わりに脱退し、グループは72年の頭に壊れてしまった。しかしそれでもアメリカ・ツアーは続けた。新しいメンバーと共にバンドを再建したのが、72年の夏の終わりから秋にかけてのこと。そしてその再建作業が、今日まで延々と続いてるワケだ。
——ジェイミー・ミューアは今もバンドに参加してるの?
RF:いや、ジェイミーは今スコットランドのエジンバラ近くにある、チベット仏教の寺院で僧侶になった。今年の3月に彼はバンドを離れた。


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