6.13.2013

Mick Ronson Interview - Part 2

INTERVIEW BY STEVE ROSEN, DEC 1976
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——いいな、と思えるギターを手にしたのは、いつの頃?
MR:いいギター? いいギターをいつ入手したかって? 自分が手にした最初のまともなギター、って意味では、テレキャスターだろうな。19歳の時(1966年)に買った。テレキャスターと、VOX AC30を持ってた。素晴らしいサウンドだったよ。その組み合わせで何でもやった。今までに、沢山ギターを所有したってことが一度もないんだ。ひとつのギターに夢中になってしまうからなんだけど。ましてや若い頃はあれこれとギターを買う機会さえないし。テレキャスターに夢中になって、その後はギブソン。レスポールを買った。ブロンドのね(註:このレスポールが、68年製カスタムを指していることは間違いないのですが。後に黒い塗装を剥がし、トップをナチュラルにしていて、杢目がプレーンであること、かなり明るい色なので「ブロンド」と呼んでいるもの、と考えられます)。今も実際に持っている、唯一のギターだね。僕がデヴィッド・ボウイと出会って一緒にプレイするようになった時には2〜3本くらいギターを持ってたんだけれど、その時も、その後どんな風になるかなんて想像も出来なかったしね。使ってみたいギターがあっても、誰かから借りて使って、別に所持していなくてもそれで十分だった。
——今所有してるギターは?
MR:2本。レスポールを2本持ってるんだけど、両方とも壊れてしまってるんだ。今週にでも楽器屋に行って、ギター買いまくりたいねえ。

70年代初期のサブ・ギター、ギブソンLES PAUL DELUXEをプレイするミック・ロンソン。このギターに関しては詳細を後述します。
——いいね!
MR:こんなに「ギター欲しい!」「新しいギター買うぞ!」って実際に思ったのは、ここ何年かで初めてのことだね。早く楽器屋行って、物色したいよ。
——最初に所属したバンド、という意味では、ラッツ(THE RATS)が最初?
MR:いや、最初の所属バンドはラッツよりも前のことで、クレスタス(CRESTAS)っていう名前のバンドだった。いいバンドだったよ。初めてこのバンドを見た時、「うわー、スゲえバンドだな」って自分で思ったことを覚えてる。で、彼らから参加しないかと頼まれた。彼らはヴォーカル2人、ベース、リズムギター、リードギター、それからドラムス。2人のヴォーカルは共に曲によってギターも弾く。ヴォーカルの2人はキャラが正反対で、ひとりはバディー・ホリーとかチャック・ベリー、そんなタイプの曲を担当してた。もうひとりはもっと透き通った声を持ってて、リッチでクリア。素晴らしかったよ。そんな編成だったから、どんなタイプの曲でも演奏できた。本当にホットなグループだった。
——あなたは歌わなかったの?
MR:僕も歌ったし、リズムギターもベースもドラムも歌った。素晴らしかったよ。いわゆるハーモニーを生かしたポップスみたいな曲もやったんだ。そのバンドはホントに多様なサウンドを何でもレパートリーにしたから、自動的に僕もいろんなタイプの音楽を演奏する必要があったし、実際にやった。キャバレーで活動するようなバンドだったから、いろんなスタイルの演奏方法を、そのバンドを通じて学んだんだね。あそこに参加してたのは、いい時期、いい時代だった。本当に多くのことを学んだ。
——ラッツ(THE RATS)は、どんなタイプのバンドだったと思う?
MR:ラッツはもっと、ブルースを基盤にしたロック・バンド、だね。
——クレスタスを離れて、ラッツに参加するまではどのくらい期間があったの?
MR:6ヶ月、かな。1年だったかな? クレスタスを辞めて、仕事も辞めてしまって、ラッツに参加するまでの間、僕はロンドンに出ていこうと考えてたんだ。ロンドン周辺をウロウロするようになって、チャンスがどこかにないかな、と探しまわってね。でももちろん、そんなに容易くチャンスに巡り会うことはなかった。ロンドンをウロウロしてた頃、楽器屋に貼ってあったメンバー募集のビラとか、それこそ街をウロついて誰それかまわず尋ねたりして、とあるバンド(THE VOICE)に参加することになった。だけど、結局そのバンドには2週間くらいしか参加しなかった。何故だか知らないけど、そのバンドは皆急にイギリスを離れてしまったんだ。そんなこと僕にはひと言も言わずにね。
——最悪だね。
MR:そのバンドではヨークシャーで1度、ノッティンガムでも1度、ライヴをやったんだけど、ヨークシャーのライヴのあった週末に、一度実家に帰って両親の顔を見に行ったんだ。実家を離れてから一度も帰ってなかったんで、両親に顔見せして「ああ、オレはうまいことやってるよ」って言いたかったもんだから。で、その後ロンドンに戻ってみたら、バンドは解散してて、連中は皆イギリスから消えてしまってた、というわけ。その時僕は全然お金を持ってなくて、本当に一文ナシだったし、食べるものさえなかった。することと言えば、シングルのベッドひとつだけ置いてある小さな部屋で、じっとしてることだけ。ホントに心底絶望したね。金もないし、食べ物もない。誰かに物乞いの電話をかけるためのコインさえ持ってない、って状況で。
——でも最低限のお金は必要でしょう?
MR:知ってる人なんて誰もいなかったし、ホントまいったね。本当に本当に、絶望のどん底を味わった、ってカンジ。次の日の朝、国営の生活扶助(福祉施設)に行って、何か貰えないか、部屋の家賃をどうにか払う方法はないか、パン一斤でも、もしくは他の食い物でも買うことが出来ないか、そう思ったんだけど、そこでは一切何もしてくれなかったね。結局散々たらい回しされた後に、支給を受けられることになったんだけど、貰ったものはといえば現金2ポンド。米ドルで4ドルとかそんなもんだよ。一体それで何をしろって言うんだ? まあ、真っ先にその金で食べ物を買ったけどね。最悪の時期、だね。
——その後、どうなったの?
MR:なんとかガレージでの整備士の仕事を見つけた。それでやっと、幾ばくかのお金を稼ぐようになったんで、家賃も払うようになったし、ギターの借金を払うお金もできた。随分とラフな生活だよね(笑)。そんな生活を結構長い間してたんで、後になればなるほど、毎週毎週(借金の)支払いをしなければらなない相手がどんどん増えていってしまった。家賃と食費と、ギターやアンプの代金の返済、全部を賄えるほどの収入ではなかったし。だから毎週、なにかしら借金をする必要があったから。当時の僕にとっては、結構大変な額だった。
——気後れしてる、って感じだったんだろうね。
MR:借金は100ポンドくらいあったなあ。それでも100ポンドで済んでるのも幸運だったんだけどね。でも実際に全額を返すのには2年くらいかかった(註:貨幣価値に関して、参考例を出します。1966年当時、イギリスで新作LPの価格は3ポンド前後、廉価版LPが1ポンド前後、SOLA SOUND TONE BENDERの発売価格は14ポンド、VOX AC30TWINの発売価格は106ポンドでした。1971年までイギリスではギニーという通過単位が使われていましたが、1ギニー=21シリング、1ポンド=20シリングなので、おおむね1ギニー=1ポンドと計算して問題ないと思われます)。全部返したよ。ウソじゃないよ(笑)。2年かかって。そんなこんなでしばらく過ごした後、ロンドンで別なバンドに参加することになった。THE WANTEDっていうバンド。ここのバンドは雰囲気も良かったし、次々にライヴをやるのが決定したもんだから、嬉しかったね。でも、機材車のバンにガソリンを入れる度にバンがどこかしら故障して(笑)、バンの修理に追われてたなあ。どっちにしろ、バンドで収入を得るなんてことは決してなかった。大昔から何も変わっちゃいない、よくある話だよ。どのグループに所属していても、プロになるまでは、バンドで収入を得ることはなかったし、困難に立ち向かう本当に長い長い戦い、だね。
——ロンドンには住んでたんだよね?
MR:最初にロンドンに出てきた後、一度ヨークシャーに戻ったんだ。初めてロンドンに出てきたときは、そんなに長く住んでない。ヨークシャーでしばらく出戻り生活をして、仕事を見つけて、生活とか、計画を立て直して、再びチャレンジすることにした。
——地元のヨークシャーを再び飛び出して、最初にしたことは?
MR:まずフランスに行こう、って決めてたんだ(註:ロンソンがTHE RATSに参加したのはハルに帰省した時。その後ハルで活動し、THE RATSとしてハルを飛び出し、フランスでの活動を模索した)。でもフランスでも全く同じことだった。以前と同じような胸騒ぎみたいなのを感じてね。自分の中では「今までと同じじゃない、今度こそは、今度こそは大きなチャンスが転がり込むはずだ」って思ってたんだけど、やっぱり同じで、また気分が落ち込み始めた。あいかわらず車は壊れっぱなしだし、食べ物もない、という状況で。
——あのロンドンでの極貧生活にまた舞い戻ったわけだ。
MR:2日間一切口にするものもなく、気が狂いそうになったよ。ああ、まさしく狂人、だね。ガソリンもない。ボロいバンの中で寝泊まりするけど、食べ物もない。地下鉄(の駅)に下りて、洗濯をして、出来る仕事をみつければなんでもやって。
——その時フランスにはどのくらい滞在したの?
MR:5週間とかそんなもん。フランスから帰英して、一度ヨークシャーに寄って、別な仕事、庭師の仕事をやってた。でも庭師の仕事は良かったよ。楽しみながらやれた仕事だ。本当に面白かったんだ。
——その後は?
MR:デヴィッド・ボウイと出会い、彼のバンドに参加することにしたんだ。でもボウイと出会ったのも、もう今から8年くらい前のことだからなあ、あまり正確には覚えてない。もう、すっごく昔の話のように思えるね。遠い遠い昔のことで。僕は1日に2〜3本位しか煙草を吸わないんで(註:「ロックンロールの自殺者」の歌詞冒頭でも出てくるように、煙草=シガレットは「時間つぶし」の意味を持つこともあるので、こういう表現をしたのだと思います)。もう8年も経ったんだなあ。でもその時、それ(ボウイ・バンドへの参加)がどれくらい続くのかってことだって見当もつかなかったし、悩んだものだよ。


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