11.11.2013

Robert Fripp 1974 Interview - Part 5

INTERVIEW BY STEVE ROSEN, MAY 1974
 1   2   3   4   5 

——ピッキング・テクニックに関して、詳しく解説して貰える?
RF:人間には、手が2本ある。だからその両方を使う、という前提に立つことがまずひとつ。次に、ピッキングを担当する右手は、左手よりも重要である、と考える。たまたま私自身は左ききなのだが、それでも右ききのポジションでギターを演奏する。ほぼ全ての人がそのポジションで演奏していたから、私も同じポジションを習得した、というだけなのだが。ギターを弾くようになって随分長い事になるが、今でも逆(レフティー)でギターを持てば、ギター初心者というものがどう感じるかを経験することができる。15歳のころ、右手親指の付け根部分をブリッジに当てて、そこを支点にしてそれぞれの弦を交差するようにピッキングするという方法を修練するようになったのだが、フェンダーのギターを試すようになった際に、フェンダーのギターにはブリッジがない、それ故私の技法は困難を極めた。そこで、71年から右手を浮かせるようにし、どこにも支えられてない状態でコントロールするように務めた。これでクロス・ピッキング自体は容易になったが、さらにプレイの難易度は高くなってしまった。私もこのスタイルで完全に意志通りのプレイができるようになるまで3年を費やしてしまった。私は自己開発のためにはテクニックこそがその基盤となる、という考えを持っているので、あと5年もすれば私のプレイはより滑らかに、流れる様にプレイできるようになるだろう。またそれと同時に、私の左手親指は常にネックの裏の中心部に位置している。これが私のフィンガリング・スキルの基本となるものだ。故に、私の左手、一般にクラシカル・ポジションと呼ばれる私のスタイルはそれほどいままでと違いはないが、右手のオペレーションに関しては完全にブリッジから浮かせて多彩なコントロールをできるようにしてある。
——いつも、どんなスケールを使ってる?
RF:基本として、ダイアトニックのメジャー・スケール。次に、そのメジャー・スケールと混ぜて使うことのできる、ルート音を下げたドリアン・モードを。それから、マイナー・スケールを。ホール・トーン・スケール(全音音階/オクターブを6つに均等分割したもの)を使うのも好きだ。だが、どんなスケールかは大した問題ではない。どんな音楽を作るか、に全ては依存するのだ。たしかに、メロディーをもとにして想像力を想起させることは、ベストな方法のひとつとも言えるが、「素晴らしいメロディーだ」「素晴らしいコード・チェンジだ」なんていう部分がちょっとあるというくらいでは、満足できる楽曲の完成にはほど遠い。これは私が完全に、圧倒的に断言できることだが、キー、スケール、すべてを変えて、それでも同じように演奏できるように、という練習をしたとしても、ステージの上に立った瞬間に、それら練習で学んだことを全て忘れてしまえば、それだけの話だ。私は音楽の練習において、そういった形にハマった練習方法というものを、認めることはできない。


※「精神異常者」の元になった、ということになる、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップの「ERUDITE EYES」。うーん、あまり似てませんが、先生がそう仰るのなら、多分そうなんでしょうね(笑)。
——キング・クリムゾンのあらゆる素晴らしい楽曲群が作られる上で、もっとソロを弾きたいとか、即興でインプロを入れたい、と思うもの?
RF:場合による。いくつかの曲、たとえば「21世紀の精神異常者」のような場合は、そういうプレイをするために作曲したものだ。その意味で、私が初めて作った曲は、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップの「ERUDITE EYES」だった。「精神異常者」は、そこから更に論理的な発展を経た曲、とも言える。キング・クリムゾンが今ライヴで演奏する音楽とは、言うなれば「ビル(ブラッフォード)、とにかく音楽をスタートさせてくれ、後はお前さんについていくよ」といったようなものだ。ただし、メンバーが皆お互いの演奏をそれほど注意深く耳に入れないこともあるので、そうそう自由にインプロビゼーションできるわけでもなく、限られた場合のみそれが可能になる。またインプロを繰り広げる相手、その組み合わせによっても、それはまた違った配慮が必要になる。
——ギターではない他の楽器が、ギターに変わってメインとなることもある?
RF:クリムゾンのレコードを聴けばわかると思うが、ギター・プレイなどというものは、クリムゾンが行なっている物事の中ではいつも、ほんの小さな一部分にしか過ぎないのだ。その理由ともいえるひとつには、他のミュージシャンがどんな展開を繰り広げるのか、どう発展していくのかを開発することこそが、私のささやかな幸せでもあるからだ。それ故私の役割というものは、その場全体のオーガナイザーといったものに近いだろう。しかしながら、同時は私はギターを演奏する。だから、他のメンバー達が私自身のプレイにそれほど興味を示してもらえないようなことがあれば、それは私のフラストレーションになる。
——プレイする際に、手にはオイルとかパウダーの類いは使用する?
RF:ライヴの際には天花粉(註:最近の方には馴染みが薄いかもしれませんが、昔のベビーパウダーのこと)を使ったりもする。でも殆ど使わない。それほど手に汗をかくタイプではないので。むしろリラックスするために使ってみる、という目的のほうが大きい。プレイするためには、リラックスすることが必要だ。自分の手と頭、その相互関係でこなす仕事だから。もちろん家にギターを置き忘れるようなことのないようにするためにもリラックスは必要なのだが。たいていのギタープレイヤーは、たった1本の弦を1時間も2時間も演奏することに神経を注ぎ、その音を必死に耳で確認しようとしてしまいがちで、その次に鳴らすべき音を忘れてしまってる。
——「21世紀の精神異常者」の間奏では、もの凄い速弾きを披露してるけど、あれはどうやって?


※ご承知の方も多いと思いますが、実は60〜70年代のキング・クリムゾンのライヴ映像というのは極めて少ししか残されていません。「精神異常者」に関して、ほぼ唯一、と言っていい程に残されている当時の映像がこちらですが、これもフルの映像はありません。69年、ハイドパークでのライヴで残されたライヴ動画。ピッキングの参考には一切なりませんが(笑)とても貴重な映像です。
RF:ピックをダウン&アップ、それだけだ。ピッキング・テクニックというものは、オン・ビートの時にダウンで、オフ・ビートの時にアップで、というのがベーシックな考え方だ。それをあえて逆に使う人もいるが。私の場合はダウンビート(註:譜面的解釈でいえば2/4拍目。ただし概しては強い拍のタイミングを指す)の際にはダウン・ピッキングを用いるが、例外的に、それまでの流れの中でフレーズにアクセントを付けたい場合、またはアクセントがあちらこちらに存在する中で、シッカリとアクセントの場を表現する場合、そういう時にはあえてアップ・ストロークからスケールランを開始する場合がある。私はマンドリンの技法でもあるフォロースルー・テクニックも同時に用いる。弦が変わっても、ダウンストロークの場所であっても。たとえば、誰かが4つのノートを演奏したとしよう。誰かが16分(音符)でそこにあわせるとする。私ならその際に、弦を変えても(註:たとえば3弦/4弦を交互に、という意味)もしくは同じ弦をアタックし続けるとしても、ダウン/アップ/ダウン/アップ、というピッキングを推奨する。言い換えるなら、誰かが弦を移動させた時に、もしアップストロークを使うのであれば、それはリズムの流れを止めてしまうのだ。もしピックを使わないフレーズの場合、この問題においては多少のアドバンテージがある。アコースティック・ギターをプレイするのであれば同様にアドバンテージがあるが、左手の押弦にはとても注意深いケアが必要となる。多くのフレーズを、ダイナミクスを十分に生かして、そしてリズミックに演奏する、その為には、少なくとも私にとってはピックは不可欠なモノだ。これは演奏技術の熟練のために回答したのであり、本来ならば、どんな場合においてもやりたいようにやればいい、というだけだ。全てはどんな音楽をフォローするかによる問題であり、あの方法がダメこの方法がダメ、といいたいわけじゃない。音楽の熟練と拡張のために、音楽のスキルを使う、ということだ。ところで、どうやって速く演奏するかって? 地獄のように練習するだけだ。


※写真は72年、イエスのドラマーだったビル・ブラッフォードがキング・クリムゾンに参加する旨を伝えるメロディーメイカー紙の1面。
——いつもどうやって、どのくらい練習してるの?
RF:プロのギタリストになろうと思ったとき、仕事はまったくなかったのもだから、3日間ぶっ通しで、1日12時間はギターを弾いてた。69年にアメリカに渡ったときも、1日に6〜9時間は練習するようにした。日々の練習として色んなスキルを全部やる、というわけではない。日々の鍛錬で最も重要なのは、しっかりとエクササイイズ(肉体的な運動)する、ということだ。もし君の雑誌の読者達が楽器を演奏できるようになりたい、と考えているのならば、とある一定時間のトレーニング・システムを組んで、それに取り組む必要がある。また、それを毎日続ける必要もある。そうでなければ、何ら達成感を得ることはないだろうし、もしその方法を続けたとしても、達成感は急に訪れるものでも決してない。先ほど言った状況での練習方法を続けても、なにかしらの向上も自覚できるものではないだろう。しかしある日、プレイヤーとして、もしくはひとりの人間として、何かを成さねばならないというシチュエーションに立ったときに、それが出来るようになるのだ。その時に彼は気付くことになる。そのシチュエーションに出会った時というのは、そのシチュエーションを克服できる時なのだ、と。そしてそれまでの何年もの長い時間をかけたハードな練習の積み重ねは、無駄ではない、と実際に感じることになるだろう。何ら、無駄な時間などない。全ては「何を望むか」に関連するということだ。私はギター・プレイに関して、ある部分では、肉体というものと人格、魂、精神というものを結びつける役割を担う、とも考えている。バンドで仕事をするということは、魔法を生み出すためにはなかなかいい職場でもある。わかるだろう? 私は自分をミュージシャンだとは考えていないんだ。


※フリップが立った!(笑)
もう一度言おう。先ほども言ったように、私はギターという楽器は極めて非力な楽器だと考えている。自分の持ってるツールを手に取り、使い、出来る事を為す。自分の演奏に最も影響をもたらすものというのは、他ならぬ自身の心の有り様なのだ。つまり、もし1週間練習をしなければ、1週間その人の筋肉は動いていない、という肉体の問題とも関連する。私はギタリストになることよりも、ミュージシャンになることに関心を抱くタイプだ。ミュージシャンでいるということは、音楽を生み出すことを意味し、ギタリストであるということは、ギターを弾く人を意味するが、それは音楽を生み出すことに直接関係のない仕事だ。しかし、私はギタリストである、という役割を全うし、そこから学ぶという経験も持ったことがある。イギリスのロキシー・ミュージックというバンド出身のブライアン・イーノと私の共同作業で、アトランティック・レコードのために『NO PUSSYFOOTING』というタイトルのアルバムを作ったのだが、これは私が行なった活動の中では最も表現力にあふれたアルバムだ。それはギターの音しか入っていない。しかし、収録曲「HEAVENLY MUSIC CORPORATION」等は、たった2本のギターから生まれたサウンドのコラージュでビルドアップされた曲なのだが、まるで50本のギターが一カ所で同時演奏されたかのような効果を生み出している。


※フリップ&イーノ、という奇才2人によるジョイント・アルバム「NO PUSSYFOOTING」は73年発表。こちらの動画はその収録曲ですが、すでにこれだけで21分あります(笑/アルバムは全2曲)。
——自分がミュージシャンだとは、一度も思ったことはないの?
RF:たまには、(バンド等の)形式が活性化した時などはそう思えることもある。21歳の時に、私は音楽というものを聴いていないのではないか、音楽それ自体にそれほど興味を持っていないのではないか、と気付いた。以来、音楽を聴くという行為に興味を抱くようにはなったが、ある典型的なシチュエーションの中でギター・プレイヤーになりたい、とは思わなくなった。今私が言ったポイントは、私の立ち位置から見える音楽の姿のことであり、それは他の人々の多くが見ている音楽の姿ではないのだろう。私が言いたいのは、私の人生にとってもっとも重要なこととは、ハーモニーを生み出すことであり、そのハーモニーの組み合わせから成るとある場所へ、と聴く者を誘う音楽を作ることだ。

Interview by Steven Rosen in 1974. / Article written in 1974, revised in 2013.
Translated by Tats Ohisa. ©2013 Steven Rosen / Buzz the Fuzz

 1   2   3   4   5 

3 comments:

  1. とても面白く拝見させていただきました。クリムゾン結成前後の音楽にも触れることが出来て勉強になりました。

    ReplyDelete
    Replies
    1. コメントありがとうございます。お楽しみいただければ幸いです。おかしな箇所も多々あるかと思いますが、お目こぼし頂ければ嬉しい限りです。

      Delete
  2. 素晴らしいお仕事ありがとうございます!フリップ先生のツンデレぶりが最高です。

    ReplyDelete