11.22.2011

J Mascis - Part 1

INTRODUCTION BY KIT RAE
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 早速インタビューを、といきたいところですが、インタビュアーのKIT RAE氏による前文があります。ちょっと長いので恐縮ですけど、過去&現在のJマスシスの状況を簡潔にまとめたものなので、これがあればダイナソーJRに興味のない方でもそのおおまかなシチュエーションをご理解いただくのに適切かな、と判断し、全文を掲載します(なお訳註、つまり当方による註釈は、番号を振って最後にまとめていれてあります)。



 まさか、既に伝説と言ってもいいJマスシスのことを「知らない」なんて人はもちろん、彼の音楽を「楽しめない」、という人が今日こんにちに存在するなんて、とても信じがたいことではある。が、もしものためを思ってイントロダクションを用意しよう。

 J(本名ジョセフの頭文字でもある)は、アメリカの作曲家/歌手/ギタリスト/ドラマー/プロデューサー/スケートボーダー/その他いろいろ…… である。マサチューセッツ州生まれ、好きな色は紫。おそらくダイナソーJRというバンドで生み出した業績によって最も知られる人物であろう。80年代中頃以降、数えきれない程のバンドに強い影響を与えたダイナソーJR。そのスタイルを決定付けていた、爆発するメロディアス・ギター・サウンドと刺々しいヴォーカル・スタイル、それらはJの代名詞とも言える。

 最近ではたまに「過小評価されているギタリスト」等と呼ばれる機会もあるようだが、Jは確かに他のギター・ジャイアンツに比べたら良く知られた存在ではないかもしれない。しかし彼の作品を追いかけ続け、この音楽産業界において彼が生み出した作品を尊く崇めるファンにとっては、彼はまぎれもなく「巨人」である。雷のように轟くパンキッシュなパワーコード、複合的リズム・プレイと火山のように火を噴くメロディアスなソロの融合、Jはそれらのすべてに於いてAクラスのプレイヤーである。と同時に、そのサウンドも究極である。彼は「ラウド」なプレイがとにかく好きなのだ。

 若い頃からハードコア・パンクに夢中だったというJ。彼のフェイヴァリットはストゥージズ、ラモーンズ、マイナー・スレット、バースデイ・パーティー、そしてローリング・ストーンズだった。ヒッピーやドラッグにのめり込むこともなく、82年にはディープ・ワウンドという名のハードコア・パンク・バンドを結成、そこでドラムを叩いた。その後ギタリストに転向することになり、ベーシストのルー・バーロウ、ドラムスのマーフと共に新たなバンド「ダイナソー」を結成した(後になってからバンド名には<JR>が付け足される)。Jはバンドの曲をメインで作曲し、ファースト・アルバム制作後にはメイン・ヴォーカリストにもなった。バンドはすぐにカルトな人気を集め(特にスラッシャー/ボーダー達に愛された)、後にダイナソーJRはニルヴァーナを含めた90年代のシアトルのグランジ/オルタナ・シーンに多大な影響力を誇った。バンドは1990年に遂にメジャー契約を果たすが、その時期はすでにグランジ/オルタナ・シーンがブームとして爆発していた時期だった。1985年以来、バンドは素晴らしい一連のアルバムを生み出してきたが、数度のメンバー・チェンジを経た後、多くの音楽スタイルを内包した印象的な屍(作品群)を残して、97年には解散してしまうことになる。

 2000年、Jマスシス+ザ・フォッグとして活動を再開。これは往年のオリジナル・メンバーも参加した、ストゥージズのトリビュート・バンドだった(*1)。結果的にオリジナルのストゥージズが再結成されることになり、Jには残されたままの元ダイナソーJRのメンバー等との再結成を考える時期がやってきた。2005年、ウィッチというバンドで一時ドラムを担当した後、2007年にオリジナル・メンバーでダイナソーJRは再結成され、バンドは傑作アルバム『BEYOND』を作り出し、その復活はシーンから大歓迎された。続いて2009年にはこれも名作の誉れ高い『FARM』を発売。2010年、サイド・プロジェクトとしてJは多数の客演もこなしているが、スウィート・アップルというバンドでドラムとギターを担当したものが、そのハイライトと言えるだろう。

 Jが作る曲はメランコリックでメロディック、そして病み付きにならざるを得ないようなフックに溢れている。メカニック好きで、ギター、アンプ、ファズ、他のエフェクター、そしてテニス・シューズを愛して止まない。ギター・コレクターでもあり(特にフェンダーのジャズマスターとテレキャスター)、今では彼のシグネチャー・ジャズマスター・モデルがフェンダーから発売されてもいる(*2)。トレードマークともいえる、ライヴにおける彼のエレキギター・サウンドは、ご承知の通りエレクトロハーモニックス(以下エレハモ)社のBIG MUFFからもたらされるところが大きい。70年代中頃のビンテージBIG MUFFで、今一般にラムズヘッドと呼ばれるモデルである。JはBIG MUFFのコレクターでもあり、その極初期から70年代末のものに至るまで、広範囲の時期のあらゆるアメリカ製BIG MUFFをコレクションしている。しかしBIG MUFFだけが彼の寵愛を受ける対象というわけでもない。その他の彼のお気に入りといえば、ユニボックスのSUPER FUZZ(Jはこれも愛用し、コレクションもしている)も挙げられる。Jは純粋に、そしてシンプルにファズ/ディストーションのマニアなのである。ビンテージ・ファズのみならず、彼の膨大なファズ・コレクションは名も無きブティック・ペダルも大量に含まれている。そして彼は常に、新しいモノは何でもトライする、という人でもある。

 最近Jは初のソロ名義のスタジオ・アルバム『SEVERAL SHADES OF WHY』を発表したが、驚くべきことに(いや、あなたがもし彼のキャリアを知り尽くしてるとすれば、全く驚きに値しないのかもしれないが)、それはアコースティック・アルバムであった。脳裏に焼き付く美しい楽曲ばかりで、メロディアスで、そしてこれまでJの楽曲の中で最もソウルフルな歌唱に溢れた作品群である。このアルバムはその後、Jを再び(2000年代前半以来となる)アコースティック・ライヴ活動に復帰させる契機ともなっている。アルバムは彼の自宅スタジオで録音され、何人かの彼の友人が、アコースティック楽器で参加もしている。そしてとても愛らしいコード進行や、繊細なJのアコースティック・ソロ・プレイも聴き所だ。また彼のカラフルなファズ・エフェクト使いもあちこちに散りばめられており、その味付けは収録曲のいくつかで、微妙にアグレッシヴな雰囲気を付け足すという効果ももたらしている。たしかに『SEVERAL SHADES〜』はフォーキー・ロック作品と言えるもので、ニール・ヤング、CS&N、カート・ヴァイル(彼はこの作品に参加している)、もしくはアリス・イン・チェインズのアコースティック版、といったあたりを彷彿とさせるだろう。しかし私はそれらの人々とJを比較することは出来ない。JはJ独自のスタイルやムードを持っていて、私が過去に聴いたいずれの作品/アーティストとも異なるのだ。『SEVERAL SHADES〜』は私の生涯のフェイヴァリット作品となった。そして、願わくば、このスタイルの作品をもっと発表してもらいたいと思っている。

ここ最近Jが使っているペダルボードには、CAEのボブ・ブラッドショウが製作したRS-5スイッチング・システムが搭載されている。そのペダルボードの中身は、ビンテージのBIG MUFF Pi(ラムズヘッド)、同じくエレハモ社製のDELUXE ELECTRIC MISTRESS(フランジャー)、DR.サイエンティストのFRAZZ DAZZLER(ファズ/ディストーション)、カスタムメイド品であるZ.VEX製のDOUBLE ROCK(同社の「BOX OF ROCK」を2段で搭載したダブル・ディストーション)、MC-FXのSUPER FUZZ、アナログマンのSUN-LION(FUZZ FACEとRANGEMASTERのコンボ)、チューブワークスのREAL TUBE OVERDRIVER、KRミュージカル・プロダクツのMEGA VIBE、CAJのTWIN TREMOLO、ボスのRV-5デジタル・リヴァーブ、イーヴンタイドのTIME FACTOR DELAY、ボスのTU-3(チューナー)、そしてCAEのパワーサプライ、となっている。(*3)

 Jは2011年になってからずっと多忙の日々にある。スウィート・アップルのツアー、アルバム、そのリリース・プロモーションにも参加し、そして自身の『SEVERAL SHADES OF WHY』のツアー中でもある。2月にはカーネギー・ホールで行われたニール・ヤングのトリビュート・ショウでプレイし、6月と7月はダイナソーJRのシリーズ・ギグもこなしている。途切れのないツアー・スケジュールの間隙には、アリソン・アンダース(*4)の映画『STRUTTER』のためのサウンドトラック盤も製作している。そんなJが「THE BIG MUFF PAGE」のために時間を取ってくれた。Jは彼の音楽に関して最大限に答えてくれた。インタビュアーのつまらない質問には急にウンザリして興味を示さない、などと評判の彼だが(過去Jに対して向けられたインタビュアーの質問で、最も素晴らしいものは「『そんなに疲れた?』って言われた時って、あなたにはなんて聞こえてるの?」だろう)(*5)、しかし今回は、興味あることには積極的に喋ってくれる、という、相対しやすいモノだった。興味があってもなくても、急にひどく無口になったり、ぎごちない所作になったり、ぶっきらぼうになったりとか、とにかく他のインタビュアーが以前よく口にしてたようなJの姿ではなかった。私にとってはいたって普通の人物であり、そして我々は機材のことをおおいに語り合ったのだった。




*1 ここでは原文にそのまま則して訳してありますが、実際には一般に言われるような「トリビュート・バンド」ではありません。ほとんどJのソロ・プロジェクト同然のユニットで、最初のアルバムは99%の楽器演奏をJひとりで演った作品だったのですが、ツアーではストゥージズのギタリスト、ロン・アシュトンが参加してストゥージズの曲をやったり、またそれがきっかけとなってオリジナル・メンバーでのストゥージズ再結成に繋がったりと、結果的にはストゥージズに多大な貢献をしたことになります(その後ロン・アシュトンは2009年に死去しました)。
*2 日本製造ながらもフェンダーUSAから発売された、日本未発売モデル。J本人のリクエストによってネックはサテンフィニッシュに、ブリッジはTOMに、フレットはジャンボ・フレットに、そして塗装は紫のラメ(マッチングヘッド)に、とモディファイされてます。また、今年の秋スクワイヤー・ブランドから別のシグニチャー・ジャズマスターが発売されることが発表されました。こちらはブロンド・カラーですね。
*3 Jのペダルボード内のエフェクターに関してはこの後のインタビュー内で詳しく解説されてます。また、ここでは言及されていませんが、青いワウ・ペダルはRMCのジョー・ウォルシュ・シグニチャー・ワウ。Jは他にもいくつかのワウを時によって使い分けているようです。
*4 87年に映画監督デビュー。99年からはテレビシリーズを手がけており『セックス・アンド・ザ・シティ』『Lの世界』『コールドケース 迷宮事件簿』などのエピソードを監督した人だそうです(Wikipediaより引用)。
*5 ちょっと本文とは関連がないんですが、割と新しいJのインタビュー動画をリンクしときます。これは最新ソロ作のプロモ用にサブポップ・レーベルがアップした公式動画ですが、オバさんの質問にロクすっぽ答えていないJのお姿を拝見できます(笑)。でも、誤解のないよう一応書いておきますが、別にこの時Jが不機嫌だったわけでもなんでもなく(むしろ上機嫌に見えます)、一切の悪気もなく元々こういうキャラの人なんですよね、Jって。


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