10.29.2013

Robert Fripp 1974 Interview - Part 1

INTERVIEW BY STEVE ROSEN, MAY 1974
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 ロバート・フリップ。イギリスのロック・バンド、キング・クリムゾンのリード・ギタリスト。「決して自分自身を目立たせたりしない」という彼の姿勢は、強烈な個性となっている。プレイする際には立ってパフォームせず、静かに椅子に座っている。そのことが彼に「ステージで座るギタリスト」というキャッチコピーを与える所以となった。
 現在27歳となるこのミュージシャンは、14歳の頃からギタリストとしてグループで活動していたが、18歳のときに彼の父が従事していた不動産業を手伝うことになり、ギタリストになるのを諦めようとしたことがある。しかし彼の実家近くのボーンマスにあるホテルから、週25ドルで演奏しないかというオファーを貰ったことで、状況は変わった。そして21歳のときに決心する。「プロのミュージシャンになれば、自分が欲したことのすべてを実現することができる」。そしてフリップはバンドを結成するが——本人の弁によれば——このバンドは酷い代物で、ライヴをキャンセルし、彼の友人たちにも「こないでくれ」と嘆願するハメになるほどだった。
 彼はシンガーのバック・ギタリスト等も経験した。イタリアン・レストランでビギン(註:中南米/ラテンのダンス音楽)をプレイしたが、その後ひと月にわたり新グループ結成のためのオーディションに時間を費やす。そのオーディションの合否に関しては現在も未通達のままだが、その後のちにエマーソン・レイク&パーマーのシンガーとして知られることになるグレッグ・レイク等と、キング・クリムゾンを結成することになった。



——なぜステージでは椅子に座ってるの?
ロバート・フリップ(RF):ギターなど立った状態では演奏できるものではないからだ。もちろん私にもできない。私もセミ・プロのバンドで演奏していた頃は立って演奏したが、とても心地いいとは言えないものだった。キング・クリムゾンとなってからも3回か4回、立って演奏したことがあるが、その後に言ったよ。「まるで地獄だ。こんな方法ではやってられない」と。グレッグ・レイクは「座ってちゃダメだ、地面に生えてるキノコじゃないんだから」と言ってたが、立って、(ロックンロールな)ムードを演出するなんて私の仕事ではない、と感じていたから。私のすべきことは演奏すること。そして事実、私は立って演奏ができない。ステージで演奏するなら立つのが当然、とは私もわかっていたが、私はレコーディング作業も好きではない。私が最も楽しめる瞬間は、ステージで、ライヴでプレイすることなんだ。つまり言い換えれば、(立ってステージ演奏することは)私が最も忌み嫌うことだ。


※写真は69年4月11日、ロンドンのライシアムでのライヴ(クリムゾンがライヴ・デビューしたのはこの2日前のことでした)。立ってギターをプレイするフリップの写真! とはいえ基本的にクラシカル・グリップでプレイするフリップですから、座ったほうがいいに決まってますよね。
——座っているあなたを見ている人々は、そのムードを感じてると思う?
RF:そんなのは私の知ったことではない。ステージで演奏している側の視点で言えば、最も矛盾を感じていることは、私が思ってもいないようなステージの感想を聞かされることだ。たしかに誰とも同じことはやっていない、という面に由来するのだろうが、そんなことも、私の信念をより確固たるものとさせる。私は自分自身である、という信念を。
——初めてギターを弾いたのは、いつ?
RF:ギターを弾き始めたのは、ちょうど今から16年前のクリスマスだった。ギターはMANGUIN FREREのアコースティック。酷いモノだった。
——こういう質問、つまらないかな?
RF:どんな酷いモノだったか、教えてあげよう。15フレットより上のポジションでは、押弦がまったく不可能だった。 ギタリストからあらゆる自由を奪うような楽器だったが、おかげで無駄に筋力はついたんじゃないかな。でもそのギターを演奏できるようになるまでには何年も費やすことになった、そんなアコースティック・ギターだ。1年後、使用ギターをROSETTIに変更した。こちらも本当にチープで酷いギターだったが、ピックアップがついていた。しかし私はアンプを持っていなかったから、ピックアップはいつしか壊れて使えなくなってしまった。いまだに私は楽器との闘争には、めっぽう弱いが。


※ヘフナーPRESIDENTは50年代から数多くの仕様違いモデルが存在しますが、フリップが入手したと思わしきモデルは時期的に2PU仕様のものと推察されます。ドイツ製ですが、英セルマーが輸入販売したモデルにのみ「PRESIDENT」と名前がつけられています。上の写真はセルマーが発行した64年のヘフナー製品カタログ。
——初めてエレキギターを入手したのはいつ?
RF:14歳の頃だ。ギターを初めて2年半経過して、ヘフナーのPRESIDENTを購入した。ピックアップが2つ搭載されていて、同時にアンプも購入した。8インチのスピーカーがついた6ワットのアンプ。これが私にとって最初のエレクトリックギターへのチャレンジだった。
——一番最初にバンドへ参加したのは、いつ?
RF:14歳の終わりの頃に、あるバンドに参加した。とても酷いバンドだった。15〜16の頃、私は入学試験を受けることにしたので、それでバンドは終わりになった。入試が終わって再び私はギターを手に取るようになったが、15歳のときにクロス・ピッキングに特化したギタープレイを目指すようになり、研究を始めるようになった。クロス・ピッキング、つまり右手の修練のことだ。些細な歴史の一部ではあるが、今の私のプレイを少しだけ興味深くさせる話だろう? もちろん、今後も修練すべきポイントはたくさんあるが。
——クロス・ピッキングというテクニックについて、詳しく教えてくれる?
RF:ほとんどのギタリストは、まるで腕が1本しかないかのような仮定の上で演奏する。しかし、私は「腕は2本ある」という前提で演奏する。最も重要な点は、それらの2本の腕には、それぞれに指がある、ということだ。もう12年も、私はその点に特に重きを置いて演奏力を開発してきた。でも、我々はまたそのポイントに再び着目する必要があるだろう。
——ほかに参加したバンドってある?
RF:17歳の終わり頃に私はあるバンドに参加したが、かなり貧弱な、弱々しいバンドだった。しかしそれは当時の、その場所の風潮を反映したバンドだった。


※最近フリップ先生のブログにて「こんな写真をみつけた」と掲載された、ギブソンES345を持つフリップの写真。おそらくこの4人組が、イタリアン・レストランでビギンとかを演奏していたバンドと思われます(追記:この写真は65年「リーグ・オブ・ジェントルメン」というグループを名乗っていた時代で、左からフリップ、ヴァレンティノ・リチニオ、スタンリー・レヴィ、ゴードン・ハスケル、とのご指摘をいただきました)。
——それらのバンドでは、何か録音したりは?
RF:ない。そのバンドのために私はギブソンのステレオ・ギター(註:ギブソンのES-345、ステレオ仕様)とステレオ・アンプを購入した。それからセルマーの50ワット・アンプも。これはギターの電子回路を研究するための、私にとって最初の契機となったものだね。ギブソンのステレオ・ギターは今まで私が演奏したギターの中でも、最もすばらしいギターのひとつだと思っているが、それほど頻繁に使用したいギターではない。というのも、サウンドがそれほどストロングだとは思えないからだ。今私が使っているレスポールは「ブラック・ビッチ」だが、ギブソン・ステレオは「レディー」、そう思うね(註:もちろんこの表現はレスポール・カスタムが「ブラック・ビューティー」というニックネームを持つことに由来している)
——そのバンドが終わってしまってからは、何を?
RF:そのバンドが終焉を迎えるころ、18歳だった。プロフェッショナルな道でギターをプレイするのを諦めよう、グループで演奏活動するのをやめようと思った。自分の仕事に集中するために。
——それはどんな仕事?
RF:住宅を販売することだ。私の父が不動産業をやってて、それを手伝った。だが、とてもいいフラメンコ・ギターを入手したことがきっかけになって、フィンガースタイルの演奏に挑んでみることにした。ひと月ほど後、ボーンマスにあるジューイッシュ・ホテルから、ラピュンゼルというハウス・バンドの中で、ギターを弾かないか、というオファーを貰った。そしてその環境で演奏することになった。
——そのときは、どんな音楽を?
RF:フォクストロット(註:社交ダンスの音楽のジャンルのひとつ)、タンゴ、ワルツ、即興演奏、バスキング(チンドン屋のような演奏スタイル)、ツイスト、その他いろいろ。これはチャレンジなのだから、なんでも演ろう、と決めていた。また、一週間で10ポンド稼ぐ、という経験にもなった。そこで私は3年間働いて、その稼ぎは大学(註:ここでフリップは「COLLEGE」と発言していますが、日本で使われるような「大学」の意味ではなく、専門学校、という意味に近い言葉です。詳しくは後ほどインタビューでも触れています)への入学資金に使った。
——でもその演奏活動はやめちゃったんだ?
RF:ああ。精神的に啓発されるようなことは一切ない仕事だったから。私にとって、人生というものに対する回答とは、不動産売買の仕事でもたらされることはなく、むしろオークション・ハウスに行くことのほうが有益だ、と考えた。少なくとも当時はそう思っていた。
——学校へは?
RF:Aレベル(註:イギリスの公立大学に入学するための統一試験で、合格すれば全てのイギリス、もしくは世界中の大学への入学に際し、資格として認められる単位。Aレベルでトップクラスの成績を上げると、医学のような高度に専門的で競争の激しい学位コースや、オクスフォード、ケンブリッジ、インペリアル・カレッジ、ロンドン大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスなどの最高峰の大学への入学が可能になる)を取得し、ロンドンの大学に行こうと思ってた。そして、不動産管理の学位を取ろうと。それで、父親のもとを離れて、5年ほど勉強して、測量等のすべての必要なスキルに精通して、父の仕事の良きパートナーとして実家に戻ろう、と考えていた。ああ、まったく馬鹿げたことだが。
——その時点でギターは完全に諦めた?
RF:ああ、5〜6ヶ月ほどは、ね。家を売る仕事に集中しようと思ったので。2週間のコースだったが、その途中で単位取得のチャンスがあって、取得しようと考えていた3つの学位のうち2つを取得してしまった——とても寛大な処置でね——自分にとって必要な学位はそれで十分だったので、その学校はその時点でやめてしまった。
——で、音楽の道へ戻った?
RF:(音楽に)恋をしてしまったのでね。まったく、自分でもオカシなことになったものだ。そういうことが私の人生に、何度か繰り返しおこってしまうのだが。で、20から21歳の間に、プロのミュージシャンになろうと決心した。それは私が人生の中でやりたいと思ったことをすべて可能にする職業だったからだ。
——人生の中でやりたいことって?
RF:ああ、精神面での開発、それからパーソナリティーの面の開発。この場合のパーソナリティーとは、決してスターになるなんていう意味ではなく、「人格」を開発する、という意味。また別の面で、生活ができる収入を稼ぐに十分で、世界を見ることができて、人々と会うことができる、そんな職業だ。実際に私は、もしプロのミュージシャンになれなければ、「私の人生には何も存在しない、私に何ももたらさない」と考えてたから。
——正しい選択ができた、と?
RF:ああ、正解だった。希望を持つ若い人間にとっては、最高の教養が得られる授業だね。と同時に、他の要素も絡んでくるものだ。その後2年、私は仕事が一切なかったので、「これはいい経験なのだ」と理解できても、やはり決して楽しいものではなかった。昔の思い出は、きらびやかに見えるものだけどね。
——プロのミュージシャンになろうと決心して、その後参加したバンドは?
RF:プロになる決意をして、あるバンドを結成した。全くもって最悪の、信じられないほどに最悪の音を奏でるバンドだった。そのバンドを始めるやいなや、近所でいくつかの演奏の場を与えられ始めて、私もささやかな評価を与えられることにはなったが、私を知っている人々にそのバンドを見られたくなかったので、ライヴをいくつもキャンセルしたりした。
——そんなに良くなかったの?
RF:ああ、本当に酷いものだ。
——そのバンドの名前は?
RF:クリメイション(CREMATION)。ちょうど私が21になる誕生日の頃だが、その日は私にとって人生最良の日であると同時に、大きな変化に迫られた日でもある。
——なぜ?
RF:今までの人生と、全く違った世界を歩み始めたから。


※ジャイルズ・ジャイルズ&フリップの宣材用アーティスト写真2枚。んー、何考えてるのかよくわからない写真ですよね(笑)。
——やっと大人になれた、という意味?
RF:大人になれたのは、私が25の時だろうな。それよりも4年前、67年の春のことだ。私の誕生日は5月16日。ボーンマスで既に有名だったリズム・セクションのジャイルズ・ブラザーズ——ドラムのマイケル・ジャイルズと、ベースのピーター・ジャイルズ——彼らが歌えるオルガン奏者を探している、と耳に挟んだ。私は彼らと1ヶ月リハーサルを繰り返したが、その後マイケル・ジャイルズにこう言ったんだ。「あー、あまり事を急いてアクセクと作業するのはやめよう」と。その当時自分が仕事を持っていたかどうかは覚えていないが。
——そのバンドが、後にジャイルズ・ジャイルズ&フリップになった、と?
RF:67年の秋、我々は皆でロンドンに上京した。ロンドンに私の友人がいて、彼はアコーディオン奏者なのだが、彼が私たちにある仕事を持ってきてくれたから。それはあるイタリア人シンガーのバッキングを担当することだった。しかしながら、私がその友人に会ったのはそれが最後となってしまった。彼は3人のチンピラに襲われ、ボロボロに切り裂かれ、病院から出られないということになってしまったから。ともかく我々はトリオとしてその仕事の契約を交わしたんだが、そのエージェントは誠意もまったくない、我々を騙す気まんまんの詐欺師だったんだ。どうやったらそんな不誠実な輩を説き伏せられるか、なんてそれまで考えたこともなかったが、とりあえず私はそのエージェントに手紙を書き、お前がいかに不誠実であるか、と提示してみた。驚くべきことに、その週の終わりには、我々はその仕事を全部失ったね。
——決して嬉しい経験ではないね。
RF:その後1年間仕事はまったくなかった。いや、その後1年半、だったかな。


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10.25.2013

Robert Fripp 1974 Interview - Introduction




 さて、すっかりTONE BENDERから話題が逸れてしまっていますが、そんなことはキニシナイ。オッと思った人、好きな人だけ読んでいただければそれだけでいいんです。ロバート・フリップ先生のお話です。

 ウィキペディアにもさっそく記載がありますが「2011年に音楽業界から引退した」ロバート・フリップ氏でしたが、最近やっぱり復帰するわなどと言い出して世界中をテンヤワンヤさせております。ただし、その復活キング・クリムゾンではリハーサルに1年以上費やす とも公言されているので、来年の今頃にどうなってるか、という遠い未来の話でもあります。そちらはそちらとしてまあ気長に&テキトーに待っておいた方が無難なような気もします。

 そこでキング・クリムゾンといえば、という話になるわけですが。1969年に発表された「クリムゾン・キングの宮殿」、1974年に発表された「レッド」、そして1981年に発表された「ディシプリン」。正直この3つのアルバムは音楽的にもジャンルから何から全く別モンだろ、と言わざるを得ない程バラバラな作品ではありますが、たったひとつ共通点を見いだすことができます。それは「ロバート・フリップがギターを弾き、思うような音楽を完成させた」ということです。クリムゾンはその誕生の瞬間、筆舌に尽くし難いほどの傑作(『宮殿』)を残し、解散するときにまた異次元の大傑作(『レッド』)を出して、復活したらまたまた大傑作を残す(『ディシプリン』)、という歴史を経ています。それを包括的に語れるのは、やはりフリップ先生しかいませんよね。

 さっき挙げた3つのクリムゾンのアルバムは、個人的に好きで好きでしょうがない、と言いますか、オオゲサに言えばこれを解明するために自分は延々と音楽を聴いているのかも、なんて思うことすらあります。少なくともフリップの影響でグルジェフの面倒臭い本を読んでみた、なんていう可愛らしいロック・ファンは、恐らく筆者だけではないと思うのですが(笑)……えーと、当方の話なんてどうでもいいんです。閑話休題。フリップ先生ですよね。

 いつもとっても哲学的なお話しかインタビューでも残されないし、ネット社会になって以降フリップ先生が続けてる公式ブログでも、そこに残されている文章はいつもどれも難解極まります。ですが、ここにとっても面白いインタビュー原稿があります。それは1974年、丁度「レッド」を制作する直前に行なわれたロバート・フリップ・インタビューです。インタビュアーはもちろんスティーヴ・ローゼン氏。例によってこのインタビューはアメリカのギター雑誌「GUITAR PLAYER」誌の74年5月号に掲載されたものです。

 このインタビューの何が面白いかといえば、まずひとつは機材の話を中心にインタビューが進められていること。フリップ先生が「BUZZAROUND使いだ」ということは、このインタビューが初出のソースなんです。そういう発見も多々あるわけで、それだけで必見、なんて思ったりします。まあ今はネットを中心に機材に関してはかなり解明されてはいますが、その全ての出発点はこのインタビューだったりもします。そういう歴史的な価値ももった文献、と言えます。当然ながら使用ギター、エフェクター、アンプ、セッティングに関してここまで集中的に回答したインタビューはなかなかありません。

 もうひとつ、おそらくインタビュアーのローゼン氏はそれほどクリムゾンの音楽に深く傾倒していない、というか、あまり知らないというスタンスでインタビューに臨んだと思われます。それが悪いってわけじゃなく、逆に面白い結果を生み出してるんです。ガッチガチのガンコ者イギリス人ロバート・フリップですから、アメリカ人を相手に流れるような会話が成立するハズもなく(笑)、そこもかしこもギクシャクしたインタビューなんですよね。でも、そのおかげでフリップ先生は自分のいわんとすることを丁寧に、何度も繰り返して(まるで子供を諭すかのように。笑)受け答えしています。クリムゾンの音楽は、どのようにして生まれたか、を探るのには格好の資料、とも言えます。

 ところで、個人的に最大の関心事は「魔法」です。フリップ先生はよくこの言葉を使うんですが、すごーーく砕いた表現で先生の言わんとする「魔法」を解析してみたいと思います。
 音楽を聴いてて、すっごく感動する瞬間って誰にでもありますよね? それって、演奏が上手いとかメロディーがいいとか、音楽的な予備知識とかそういうこととは一切関係なく、瞬発的に起こりえる現象ですよね。で、フリップ先生はその瞬間を「魔法」と呼び、それを永遠に研究してる人と言えると思います。フリップ先生がよくこの「魔法」のわかりやすい例として挙げる瞬間がビートルズの「A DAY IN THE LIFE」の最後の和音(Emajor)部分なのですが、そういう「魔法」に関して、ジミヘンの場合はどうなのか、クラプトンだったらどうなのか、バルトークだったらどうなのか、そして自分の場合はどうなのか、なんてことを喋っています(註:ただし今回のインタビューでは、ビートルズに関しては触れていません)。何がどうなったら魔法は生まれるのか、その永遠のテーマを研究しまくるギタリスト、と言えるかもしれません。実際にフリップ先生は「女性、魔法、音楽表現、その3つのために私は生きている」とこのインタビューでも語っています。

 なのになのに、自分はミュージシャンでもないしギタリストでもない、と断言するフリップ先生。それだけでうわー面倒臭い人だとお分かりいただけるでしょう(笑)。一応、インタビュー原稿に関しては今回もスティーヴ・ローゼン氏本人に当時のインタビュー・テープを(40年ぶりに)再度聞き直してもらい、全部を新たに書き起こしてもらいました。で、それを当方が拙い翻訳で日本語化したものです。例によってヘンテコな翻訳も多々あると思いますが、そこは平にご容赦いただければと思います。

 とっても面倒くさい人の面倒くさいインタビューなので、より多めに註釈文を入れました。ミック・ロンソンのインタビューもそうでしたし、このブログ自体もそうなのですが、ネットにポツンと存在してるウチのブログに(何らかの理由で)到達された方に「さらに興味を深めていただければ」という意図でやっています。なので、敷居は低く、でも内容はゴッツく、というコンテンツとなっています。当然ながら、このフリップ先生のインタビューが読めるのは、日本ではこのブログだけ(笑)。もしチラっとでも興味をお持ちでしたら、ひとときお付き合いいただければ嬉しい限りです。



 最後に余談を。昨今プログレ・オタク界隈を賑わせているアルバムに、こんなのがあります。CD24枚組のボックスセットで、先日レコード・コレクターズ誌でも表紙を飾り大々的に特集もされたゴッツイ箱なのです。まあ、マニアの方は何があっても買うんだろうとは思うのですが、74年のクリムゾンのライヴ音源が22枚(?だったと思います)入ってるから、といって全部聞くのはさすがに修練、ではなく苦痛でしかないだろう、と思うんですけどね(笑)。でも、単純に「クリムゾンが話題になる」ていうだけで当方は嬉しくなるんです。エヘヘ。

Young Person's Guide to
KING CRIMSON 69 - 74


IN THE COURT OF THE CRIMSON KING(1969)それまでのポップ・ミュージックの概念を丸々ひっくり返した、新しい次元の音楽の誕生。代表曲「21世紀の精神異常者」「風に語りて」「エピタフ」収録。



IN THE WAKE OF POSEIDON(1970)>ホルスト「火星」の改作「デヴィルズ・トライアングル」や、日本でTVCMでも使用されたタイトル曲を含むセカンド。ちなみに「WAKE」は「めざめ」ではなく「航跡」の意味。



LIZARD(1970)1stガンダム劇場版の音楽(「ビギニング」)でもマンマ引用された「ルーパート王子のめざめ」(ボーカルはイエスのジョン・アンダーソンが担当)を含む3作目。



ISLANDS(1971)サックスとフルートでメル・コリンズが大活躍(コリンズは2014年版クリムゾンにも参加するとこのこと)。だが本作を最後に、フリップと共に初期クリムゾンの世界を牽引したピート・シンフィールド(作詞)が脱退。



EARTHBOUND(1972)『ISLANDS』発表直後の72年2月のライヴを収録。とーっても音が悪いことで有名ですが(笑)、LP時代最も高値が付けられた貴重なライヴ音源、でもあります。



LARKS' TONGUES IN ASPIC(1973)フリップ以外のメンバーを一新、メタリックなサウンドと超絶技法を駆使したインプロ主体のサウンドを目指した新生クリムゾン。それにしても「太陽と戦慄」っていう邦題は、最高ですよね。



STARLESS AND BIBLE BLACK(1973)スタジオ録音とライヴ録音をミックスして作られた6作目。フリップ(G)ウェットン(B)ブラフォード(DR)クロス(Vl)というこの時期の布陣を「最強」と呼ぶ人も多いです。



RED(1974)一番ギンギンなフリップ先生のギターサウンドが聞ける「プログレ時代」のクリムゾンのラスト・アルバム。一説によるとニルヴァーナのカート・コバーンが最も影響を受けたアルバムとのこと。



USA(1975)74年米国ツアーを収録したライヴ盤。ライヴでのデヴィッド・クロスの演奏は、何らかの理由で後にエディー・ジョブソンの演奏に差し替えられている。こちらも30年近く絶版状態が続いたことでオリジナルは高値をつけた。



YOUNG PERSON'S GUIDE TO KING CRIMSON(1976)解散後に発売された、フリップ本人の選曲による2枚組ベスト。クリムゾン結成直前のデモ版「風に語りて」やシングル版「キャットフード」が収録してたりと、小技も効いたコンピ。


10.17.2013

The Guitar Sound Required


 すっかり秋ですね。今年の夏はロクなブログ更新も出来ず、またしてもお恥ずかしい限りです。通例であれば発売前に告知して、多少興味を持っていただければ、と考えていたのですが、今回に関しては発売後の告知となりましたことをお詫びします。まあ興味ある人はもうとっくに買っちゃってるべ、とは思うのですが。

 で、今更ながら既に発売中の THE EFFECTOR BOOK 最新号を、一応、という形でご紹介しておきます。特集はディレイ。既に何度かディレイ特集は本誌で掲載されていますが、今回は「使い方」にスポットを絞っての特集となっています。表紙に掲載したのはT.C. ELECTRONICのFLASHBACK。これ、小さいのに優れものですねえ。TCのディレイはとても優秀だ、と既に評価が高いのですが、電池で動かせる機種は限られるので、こういうのがあるととても嬉しいです。個人的に(笑)。

 前回のポスティングでも書きましたが、元マルコシアス・バンプ、現在RAMA AMOEBAのフロントマンであり、同時にAKIMA & NEOSというアンプ・ブランドの主宰でもある秋間経夫氏のインタビュー原稿が掲載されています。これ、是非あらゆるバンドマン、ギタリスト、ミュージシャン、エンジニアの方に読んでいただきたいんですよね。で、もし、そこに書かれていることにピンと来た、ハッとした、という方がいらっしゃれば、嬉しい限りです。

 一体インタビューで何が書いてあるか、といえば、例のアキマ理論とも言うべき 市販のギターアンプでは、バンドに必要な音は絶対でない という話を解説していただいています。なぜそんなことになってしまうのか、一体どういう理屈でそんな現象が起こるのか、そんなことの解説をしていただきました。当方もこのブログにて、そういうテーマを何度か書いてきましたが、それを図解入りでご本人に解説してもらいたい、と常々思っていたので、それをやってみました。
 またアキマさんが実際に検証実験をした上で判明した 4x12インチ・キャビのダメなところ に関しても言及していただいてます。もしかしたらこの事実に気づいた人は、アキマさんとエリック・クラプトンだけ(!)かも。全国のマーシャル愛好家の皆さん、是非とも同じ実験をしてみていただきたいと思います。もしかしたら、そのアンプを窓から放り投げることになるかも(笑)。そういうソラ恐ろしい話が満載です。

 60〜70年代の有名なギタリスト達は、デジタル機材はおろか、極めて限られた機材環境で、まさに魔法のようにスバラシイ音を出してたことはご承知かと思います。アキマ氏いわく「あの時代の人たちは、まずギターっていうのがどんなモノか熟知してたプレイヤーが多かったっていうことと、それに加えて、頭で考えるんじゃなくて耳で正確な判断してた人ばかりなんですよね。だからギターのトーンをひねったりアンプのトーンをひねって、アレ?音が全然変わらないなあ?なんていうそんなレベルの人ではないんです。何よりもセッティングに関してはイジり倒した人ばかりなんですよね」とも仰っていました。

 そうです。同じギターと同じアンプと同じエフェクター買ったところで、凡人がすぐに当時のギタリストと同じ音を出せるワケではナイ、ってことですよね。アキマ氏はご自身の持っているレスポールのテールピースの高さを調整するのに丸々一晩を費やす(!)という方ですが(でも、こないだ調整に出したら勝手にその位置変えられちゃって、今ショボーンとしてるところ、とも仰ってました。笑)、プロが出すサウンドっていうのは、結局そういう日々の研鑽を大量に積み重ねすることでしか生まれない、という恐ろしい現実も垣間みることができました。
 上手くまとめられたかどうか、は読者の皆様に判断をゆだねるしかありませんが、ギタリストが出音について考えるときの「最初の1歩」にはなるだろう、という自負はあります。正直、これの意味わかんねえヤツはどんな機材買ってもダメだよな、なーんて乱暴なことも言いたくなったり(笑)。

 余談となりますが、左の写真はインタビュー中にも掲載した、マルコシアス・バンプ時代からアキマさんが使い続けてるギター。チューナーはドクロのペグ、ヘッドにはジュラ期のアンモナイトの化石(本物)が埋め込んであり、リアPUはダンカン59、フロントは無名のリップスティック、コントロールは2VOL、ボディートップのステンドグラスは自家製で、ボディー(マホガニー材)に落とし込んであります。マルコシアス・バンプのファンならご承知の方も多いと思いますが、このギターにはストロボフラッシュが埋め込んであって、スイッチいれるとピカピカッと光るんですよね。グラムですねえ!最高です。

 さてさて、THE EFFECTOR BOOKではほかにも、みんな大好きマイケル・ランドウのペダルボード解説とか、ジムダンが発売したFUZZ FACEの新作モデル、久々のZ.VEX特集なんかもあったりします。是非お手にとっていただければ幸いです。

 で、最後にこのブログに関する告知です。前にもチロっと書きましたが、次回以降、ロバート・フリップ先生のインタビューを掲載します。いま必死でまとめてるところです。正直先生の御発言は難解極まりないメンドクサイものではありますが(笑)、機材をメインに話をするフリップ先生のインタビューですから、とっても楽しい文献であることは間違いありません。なんとキング・クリムゾンが来年大復活するというニュースも最近飛び込んできまして、なかなかタイムリーなインタビューかもしれませんね(偶然ですが)。いやーこのインタビューのおかげで、すっかり「ボリュームペダル」っていうのにハマってしまい、今いろいろ研究してるところです。個人的に(笑)。

 それから、今ウチのMARSHALL MAJORは現在アキマさんに預かっていただいており、これまで幻とされたその内部回路を解析してもらっています(MARSHALLのアンプの回路図って、殆どのモノは既にネットで拾ったり本に紹介されたりしてるんですが、2インプットの初期型MAJORの回路図だけはどこにもないんですよね)。
 200Wってウタってるのに、120Wくらいしか音が出ないってのはホントかどうか。SOUND CITYのアンプのように、同じくアクティブ・トーンを持つイギリス製アンプとMARSHALL MAJOR初期型は一体何が違うのか。とにかく謎だらけの初期型MAJORに関しては、アキマさんの手によって解明されることになっています。どうなることやら。そちらもお楽しみに。