8.07.2015

Saying goodbye to an old friend (Part.2)

 
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 それから1週間程の間、私は他の用事で奔走しなければならなかった。そんなある日、2時間ほどの外出後に私が家に戻ってきた時、デカい箱がウチのガレージのドア前にドンと置いてあった。ラベルを見ると「オーストラリアからの荷物」と書いてある。オーマイガッ。UPSはミック・ロンソンのあのギターを、ガレージのドア前に立てかけたまま行ってしまったのか!

 本当にスペシャルな瞬間。完全に興奮し切った状態で、魔法にでもかけられたような瞬間。その瞬間の記憶が、その後も決して消え焦ることもない、そんな特別な瞬間。人生に1度か2度くらいは、誰にでもあるものだろう。目を閉じてその時を思い返せば、一瞬にしてその瞬間が生々しく蘇り、タイムスリップできる、という記憶。この時の記憶は、そんなカンジのものだ。

 今回の話の裏話。何年か前、両親が所持していた家を私が買い取ることにしたのだが、その家の地下にはスペースがあって、私はそこでギターのオンラインショップを開業することにした。この家は私の生家であり、その地下のスペースとは1974年、まだ子供だった私がデヴィッド・ボウイを「発見」した場所でもある。「イン・コンサート」というテレビ番組で放映されていたジギー・スターダストのライヴを、13歳の少年が目を見開いて食い入るように画面にかじりついたその場所でもある。

 その地下のスペースに座り、画面の中でミック・ロンソンがプレイするギターを見て、「自分でもギターが弾けるようになりたい!」と思い立ったその場所。そしてその場所で、私はオーストラリアからやってきた荷物を開き、その中にはあのミック・ロンソンのギターが入っていた。まさに目もくらむような瞬間。控えめに言っても、とても現実のこととは思えない、魔法の瞬間。クリスマスの朝にプレゼント・ボックスを開ける子供のような気分で、私は荷物を開封した。とても注意深く、ギターがくるまれたプチプチ(緩衝剤)を丁寧に引きはがした。えっ、うそ、ケースないの? 頼むよ神様・・・ ネックが折れてないことを祈る・・・ 実際にネックは折れてはいなかった。ギターはちゃんとギターの形のままで到着した。

 到着した時、弦はもうズタボロに錆びていた。そのサビサビの弦は丁寧にギターから外して、それらを丁寧に封筒に入れ、保管することにした。指板を綺麗に掃除し、フレットを磨き直した。そして新しい弦を装着した。トラスロッドを調整して、早速プラグイン。んーーーー、音が出ない。クソッ。ジャックプレートを外して、接点を綺麗に磨いてみた。すると「まだ生きてますよ!」とでも主張せんばかりに、このギターは吠えた。早速私は「ZIGGY STARDUST」を弾いてみた。何万回と写真に撮影され掲載されたあのギター。その写真を通して私が何万回も凝視したそのギター。再度「ZIGGY STARDUST」を弾いてみた。知る限りのボウイの楽曲を、次々と、延々と演奏し続けた。そして再びギターに目をやる。ワオ!

 その何日か後、地元のクラブで私のライヴがあり、そこにはイアン・ハンターと彼の奥さんトゥルーディーも来ていた。そこで私はイアンに例のギターを見せた。ギターにはミックのサインも入っていた。イアンは「ああ、間違いなくミックの文字だね」と言った。ライヴの最初のセットで私はそのギターを使用した。私がステージから降りると、イアンは「まるでミック・ロンソンが押し寄せてくるかのように感じたよ。ギターの音を通してね」と言って笑った。おかしなことだが、私自身もそう感じていた。考えれば馬鹿馬鹿しい話だが、間違いなくソレは舞い降りてきたことを思い出す。ただの子供のように、自分が愛した曲をプレイしただけなのに。
 数ヶ月にわたって保持し、何度かのライヴで何度か演奏したそのギター。しかしその後私はこのギターはロックンロールの殿堂(ROCK'N ROLL HALL OF FAME/以下R&RHOF)に展示されるべき、と決意した。もちろんR&RHOFにその気があれば、の話だが。それはミック・ロンソンのために私ができる数少ない義務だろう、と感じたのだ。

 R&RHOFの展示物責任者、ハワード・クレイマーに電話をしてみることにした。彼の電話番号は私のバンド仲間でもあり、アリス・クーパー・バンドのベーシスト(1969〜1974年)でもあるデニス・ダナウェイ(彼は自分のベースをR&RHOFに寄贈したことがあった)がたまたま知ってて教えてくれた。ハワードの秘書が電話で対応してくれて、私の電話番号とともに、「私はミック・ロンソンがボウイと共演していた時期に使用したギターを持っている。R&RHOFはこのギターを展示するつもりはあるか?」というメッセージを残した。秘書の彼女はこのメッセージをハワードに伝える約束をしてくれた。まさか、と思える程あっという間に返信の電話がやってきた。ハワード本人からだった。彼はそのギターを是非展示したい、という。彼はマジだった。

 その後何度かの交渉を経て、私はそのギターを2年間R&RHOFに貸し出すことにした。後からハワードは、今までR&RHOFに展示されてきた全てのギターに関して教えてくれた。いずれも、見るものの誰もが引き寄せられ、思い出すことが出来るようなものばかり。皆「ああこのギターは・・・」とすぐにコメントを思いつくようなモノばかり。ミックは数多くのミュージシャンと共演し、数多くのプロジェクトでこのギターを使用した。私はミックのギターと共に、イアン・ハンターがグラム・ロック期に使用した「H型」のダブルネック・ギターも展示してもらうことにした。モット・ザ・フープルのグラム・ロック期。それは私もハワードも、共に夢中になり熱狂したアイコンだった。

 それから2年が経ち、私はまた再びあのギターを自分の手に持ちたいな、と考えるようになった。何と言っても2年もの間、私は寂しい思いをしてきたのだから。実はその間にもR&RHOFと私の間では、あのギターにいくら保険をかけるべきか、という問題で意見の違いがあったりもした。結果、2年の契約を終えてギターは再び私のもとへ戻ってきた。その後何年間かにわたり、自分のプロジェクトで実際にそれを使用した。前述のデニス・ダナウェイのアルバム『BONES FROM THE YARD』(2005年)でも使用した。イアン・ハンターのアルバム『WHEN I'M PRESIDENT』(2012年)でも使用した。デヴィッド・ボウイのトリビュート・アルバム『HERO: THE MAIN MAN RECORDS TRIBUTE TO DAVID BOWIE』(2007年)に収録された「MOONAGE DAYDREAM」のカヴァー(註:デニス・ダナウェイ・プロジェクト名義)でも使用した。また、デフ・レパードのフィル・コリン(写真右上)に貸し出して、何度か彼がステージでこのギターを使うこともあった。私自身のバンド、サイコ・マーチャンツのデビュー・アルバム『RUBIKS CUBE』でも使用し、「FIRE」のPVではこのギターが映ってもいる。雑誌「GUITAR AFICIONADO」や、リサ・ジョンソンが作った驚くべき本「108 ROCK STAR GUITARS」でも特集された(写真右中央&下)。あのギターは、再び音楽を奏でることになった。

 私の友人のひとりであり、ボウイ、ロンソン、モット・ザ・フープルに深く入れ込んでいる人物でもあるマデリン・ボケイロ(彼女は自身のブログを通じて、いつも素晴らしい情報を提供してくれる)がある日私にコンタクトしてきた。いわく、「FOR WHAT IT'S WORTH」という名のTV番組(註:いわゆる「なんでも鑑定団」的な番組)が、ロック関連のメモラビリアを扱ってるのだけど、もしその気があればその番組に出てみないか、とのこと。「HOWARD STERN SHOW」でも有名なゲイリー(・デラベイト)と、あと誰かもう1人(註:ゲイリー・ゾーマーズ。俳優さん)のホストでやってる番組だ。その番組では過去にギターを扱ったことはなく、番組に出ている「専門家集団」たちが、私の考える「あのギター」の価値を上回る金額を見いだすとは思えなかった。結果は・・・ あー、案の定。ったく。専門家の意見は間違っている、ということを証明する結果となった。

 さらに何年かが経ち、ミック・ロンソンが使っていた機材を動画で撮影して、YOUTUBEにアップしようと思い立った。何年もかけて、私はロンソンの使用機材を集めてきた。スージー・ロンソンが所持していたミックの機材はその殆どを私に売却してくれた。ボウイとの共演で使用したマーシャル・メジャー・アンプヘッド、アルバム『HEAVEN AND HULL』でミックが使用したマーシャルのハーフ・スタック、いくつかのペダル・エフェクターやシンセ・キーボード、彼のレコード・コレクション、大量の2インチ・マルチトラック(24ch)テープ、それから細々としたアイテムをいろいろ。それらの多くは、ワイアード&ギリー名義で出版されたミック・ロンソンの伝記本「THE SPIDER WITH THE PLATINUM HAIR』で公開されている。その本では私は「現在あのミック・ロンソンのギターを所持している人物」としてインタビューを受けた。

 いつも私のところには、あのギターに関して質問の電話がひっきりなしにかかってくる。何マイルも離れた遠い地域からはるばるやってきて、あのギターを見てみたいのだけれど、とお願いされる。私はいつもそのお願いに「ああいいよ」と言ってきた。ミック・ロンソンのファンであれば、誰でもオッケー。皆あのギターを目の前にすれば、誰でも同じことを——「ZIGGY STARDUST」のイントロを演奏——する。あのフィル・コリンでさえも同じだった!

 そんなわけでミックのギターとアンプを使った動画を撮影する際も、私自身でそれと同じことをやってみた。また、再度イアン・ハンターを相手にして、ミック・ロンソンに関して彼に喋ってもらった。イアンがまだ何本かミックのギターを所持していることもあり、彼が動画に実際に出演してくれるかどうかとお願いしてみたところ、彼は快く同意してくれた。そのために動画は2本立てにしてある。動画をYOUTUBEにアップするやいなや、大量のコメントや「いいね!」を貰うことになった。何の見返りや報酬を得ることもない、ただの趣味動画。試聴者はみなその意味を分かってくれたようだ。(つづく)

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