4.29.2011

Manner of Mick Ronson (Part.3)

 
 どのくらい需要があるか自分でも全くわからないのですが、またしてもミック・ロンソンのお話です。興味ねえよ、という方は勿論この項をスッ飛ばしていただければと思います。今回はミック・ロンソンが使用したアンプのことに関してです。

 これまでも何度か本稿でも触れてきましたが、ミック・ロンソンといえばマーシャルMAJOR、という代名詞的アンプがあるわけでですけど、そのマーシャルのアンプは「かなり変わったアンプ」であったことは、あまり知られていません。

 まずは、彼が有名人になる前、地元ヨークシャー州ハルの地で参加したバンド、THE RATS時代まで話がさかのぼります。この時期(66年〜70年/実は、ボウイと組んでた期間よりも、地元でローカルバンドやってた時期のほうが長いんですね)は機材史の面でも最も興味深い時期のひとつ、と個人的に思っているんですが、ロンソンが使用したギター、アンプ、ファズ、ワウは全てこの頃に所有したものでした。

 ミック・ロンソンはTHE RATSに参加するに際して、自分のステージ用機材を揃える事となりました。以下のエピソードのソースは、THE RATSのベーシストだったジェフ・アプルビー氏の回顧録によるものです(ミック・ロンソンが使用した機材に関して、彼が知りうる事実を明かす、という記事が残されています)。


 周知の通り、ミック・ロンソンは200ワットのマーシャルMAJORをボウイ&スパイダース期に(73年末まで)使いました。ですが、このアンプは彼が購入・所有したものではなく、THE RATSがバンドとして導入した機材だったのです。その時ミックは自分のギター用にマーシャルの100Wアンプを購入していました。

 THE RATSは当初、マーシャルMAJORをライヴのPA用サブ・アンプとして購入しました。しかし、このアンプのEQがPA用としてはあまり不向きだったので、実際にはPA用には使われないままになっていました。その後このアンプは別なバンドにレンタルに出したりもされていました。

 私のアンプ(註:ジェフ・アプルビーのアンプはマーシャルの100Wのベースアンプだったとのことですが、正式な型番は不明です)があまりにも歪み過ぎるので、出音に不満を抱えるようになっていた時、ミック・ロンソンが私に「あのマーシャルの200Wを使ってみれば?」と提案してきました。そこで早速レンタルに出していた200WアンプをTHE RATSに返却してもらい、ベースで試したところ、“鈴のようにクリーンで、ボトム・エンドは力強く、まるでジョン・エントウィッスル(ザ・フーのベーシスト)のようにきらびやか”な音も出せたのです。


 以上がTHE RATSのベーシストさんによる解説です。以前にも掲載したことのある上の写真が証明しているように、THE RATSの時期、ミック・ロンソンはVOXのプロトタイプ・ワウ、そしてTONE BENDER MK1を経由して、マーシャルの100Wアンプを使用しています。その外観から、このアンプは1966年に製造されたJTM100という珍しいアンプだということが判ります。マーシャル過渡期のレアなモデルとしても有名ですが、エリック・クラプトンがクリーム初期のサウンドをクリエイトしたアンプ、ってことでも知られていますね。THE RATSのステージ写真ではベーシストのアプルビー氏が、200WのMAJORを使っている写真(左)も残されています。ちなみにアプルビー氏は「ロンソンのあのMAJORは、しかるべき本当の所有者(つまりアプルビー氏)に返却されるべきだ」と主張しています。でもねー、今さらそれを言うのって、どうなんですかねえ(笑)。

 その後、THE RATSはジェフ・アプルビー氏も抜け、ジョン・ケンブリッジやウッディー・ウッドマンゼイといった、後々ボウイ人脈として名前が知られるようになるプレイヤーが徐々に集まってくるようになります。その頃にミック・ロンソンが例のマーシャル200W MAJORを自分で使う事にした、と思われるのですが、その詳細な経緯は伝わってきていません。ただ「何故MAJORをロンソンが使うようになったか」。それは単純に「音がデカイから」につきると思います。

 さて、やっとそのマーシャルMAJORの話です。マーシャル社は1967年に、ブランド初の200Wアンプ「MAJOR」シリーズを発表しました。それがモデルナンバー1966のMAJOR PA、モデルナンバー1967のMAJOR LEAD、そしてモデルナンバー1968のMAJOR BASSです。この3種はすべて「MAJOR」の名前がついているのですが、フロントパネルではなくバックパネルにその名前が記載されています。フロント側にはMARSHALL 200という文字があり、この点で以降(68年から74年まで製造され続けた)のMAJORと区別することができます。
 なんといってもマーシャルMAJORといえばリッチー・ブラックモアがディープ・パープル〜レインボウの時期に掛けて使用したアンプ(ただし、彼は壮絶な魔改造をいろいろとアンプ回路内にしてますが)ということで有名ですし、同じくリッチーと活動を共にしていたオルガン奏者ジョン・ロードもMAJOR PAを使用していました。よって今でも、MAJOR=リッチー/ディープ・パープル、というイメージはかなり強いと思われます。近年でいえば、レッチリのジョン・フルシャンテが使用したりもしていますね。しかし、リッチーやジョン・フルシャンテが使ったMAJORとミック・ロンソンが使ったMAJORは全く違うアンプ、と言える程に違うアンプなんです。

 こちらの写真は、アメリカのGUITAR HANGERというショップに保管されている、実際にロンソンが使用したマーシャルMAJORの現在の写真です。ロンソンの遺族によってこのアンプは同所に譲り渡されたのですが、既にフロントのロゴは失われ(1973年には既にこのロゴが紛失していることが、当時の写真から確認できます)、そしてバック・パネルにはキャノン端子が2ケ増設されていたり、インプットになにやら怪しげな(4インプットにしようとしたと思わしき)改造痕も見受けられます。

 マーシャルのアンプといえば2チャンネルで4インプット、というのは極自然な話ですが、実は初期のMAJORだけは別です。1967年に製造された初期のマーシャルMAJOR LEADは1チャンネルで2インプットという仕様でした。ミック・ロンソンが使用したMAJORは、この極初期の仕様のもので、それはフロントパネル(もちろんプレキシグラス)の幅の狭さから一目瞭然で判ります。
 しかも、1973年10月、ボウイとロンソンが最後に共演した(註:もちろん20年後の再会を除いて、の話ですが)ステージとなった、ロンドン、マーキー・クラブでの1980フロア・ショウのステージでは、このロンソンのMAJORが結構アップで何度か確認できますが、この時点ではアンプは2インプットのまま(=無改造)だったことが判ります。つまり、現在フロントに施された改造は、これより後の出来事だ、と判ります。こちらに掲載した写真ではボケボケで確認できませんが、動画をご覧頂ければどなたでもご確認いただけると思います。

 先ほど「初期のMAJORは(その後のMAJORとは)全然違う」と書きましたが、何が違うのか。チャンネルの数もそうですし、フロントのパネルの幅も勿論違いますが、たとえば中身のトランスが既に違います。
 マーシャル・アンプのトランスといえばDRAKE(写真右)というメーカーのトランスが長きにわたって使用されていますが、67年の初期型MAJORではPARTRIDGEというブランドのトランス(写真左上)が使用されています(PARTRIDGEはハイワットのアンプで使用されたトランスとして有名なんですが、マーシャルでは他のモデルで使用されたことはありません)。

 そして一番重要なのは、コントロールです。3つのノブはそれぞれ「マスター」「トレブル」「ベース」なのですが、これが実は全部ボリュームなんですね。「トレブル」や「ベース」のボリュームってなんだ?EQだろ?と思われる方もいらっしゃると思います。何故こう書いたかといえば、この写真が示す通りトレブルもベースも文字通り「ボリューム」という表示がされているからです。なぜマーシャルはこんなパネル表示にしたかといえば、67年の初期型MAJORでは、トレブルもベースもアクティヴ仕様となっているからなのです。

 73年のインタビューでロンソン本人が「ツマミは全部フルアップして使ってる」と証言していますが、前述した1980フロア・ショウでは、トーンを微調整している姿も拝見できます。実際にどうセッティングしてたかは確認する術もありませんし、なによりも「1980フロア・ショウ」の実際のパフォーマンスはアテフリなので、そんな細かいセッティングを気にしても意味がないんですが(笑)。

 さらにミック・ロンソンが使用していた初期型のマーシャルMAJORの詳細を続けたいと思いますが、長くなってしまったので、この先は次回に続けたいと思います。(この項続く)
 

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