12.15.2011

Tone Bender - the Timeline (history of Macari's)


 最近やっとのことで(おそらく1年以上放置状態だったと思います。笑)英国MACARI'S、つまり現行品SOLA SOUND/COLORSOUND製品の発売元のHPが閲覧可能になりました。MACARI'Sの一番メインのビジネスはご多分にもれずギター屋さんなので、そういうHPの作りになっていますが、勿論現行品のTONE BENDERなんかも紹介されています。MACARI'Sが発売している現行品に関しても後々触れる機会があると思いますが、ここではMACARI'Sの歴史を追って見ようと思います。なぜかと言えば、MACARI'Sの歴史は、60年代のTONE BENDERをめぐる複雑な歴史そのものでもあるからです。

 ただし、いきなりですがMACARI'Sに関する歴史認識はビミョーでファジー(いい加減、という意味で。笑)です。何故ファジーかと言いますと、人によって「歴史事実に関する表現の方法/主張」が変わるからです。現在のMACARI'Sが言っている公式の弁はここでは一旦お預けにして、歴史的に判明していることを時系列で以下に書きます。

 まず最初は1950年の話。この年、ロンドンのCHARING CROSS ROAD 100番地にJMI/VOXの直営ショップが開店します。出したのはJMIの社長トム・ジェニングスです。当然ここはVOXのオルガン製品を売ってたお店ですが、後にフェンダー等の輸入楽器も販売するようになったとのこと。

 ちょっと時間を経た1958年。ロンドンの北西部(中心部からは結構離れてます)にあるエッジウェアという街に、MACARI'Sというお店が出来ます。当初は、レコード、管楽器なんかを売り始めたのがお店のスタートだったとのことです。後にギターも売るようになります。

 さて、ここから先はいくつかロンドンの住所が出てきますので、左のロンドンの地図なんかも参照していただければ、と思います。

 1962年、MACARI'Sのオーナー、ラリー・マカリは「VOXブランドのセールスマン」としてJMI/VOXと契約し、営業マンとして働くようになります。当時このCHARING CROSS ROAD 100番地のお店はJMI/VOXの製品を独占的に販売する唯一の場所でもありました。62年にVOXブランドはビートルズと独占的な楽器エンドース契約を行っていますので、当然こうした大きなサービスショップで商売しよう、と考えたのだと思われます。また同年ゲイリー・ハーストはJMI/VOXに入社しています。

 1963年、JMI/VOXはロンドンのCHARING CROSS ROAD 100番地の建物の路地を入った裏側にあるNEW COMPTON STREETに、VOX製品のテクニカル・サービス・センターをオープンします。ゲイリー・ハーストがインタビュー内で言っていた「VOXのテクニカル&ショールーム」はここの場所を指します。この時ゲイリー・ハーストは責任者に任命され、ここで働くようになりました。ただし、このサービスセンターは、上記したVOXのショップのあったCHARING CROSS ROAD 100番地の中の裏側の一部にあたります(当時JMI/VOXはここ一帯のビルの全フロアを借り切って営業していたそうです)。この頃ラリー・マカリはそのVOXのお店の主任となっています。

 ちょっとだけ余談を挟みますが、ストーンズのこの有名な写真がありますよね。アルバム「OUT OF OUR HEADS」のUK盤のジャケに使われた写真ですが、これは1963年にCHARING CROSS ROADで撮影されたモノなんですよね。ええ、ただそれだけの余談でした。

 さて、1964年そのCHARING CROSS ROAD 100番地から歩いて2分程にあるDENMARK STREET 22番地に楽器屋さんが新しく出来ました。この場所は「同じ住所の一角」ではなくて、地理的に離れた場所です。ここは「MUSICAL EXCHANGE」という名前の楽器店で、オープンしたのはラリー・マカリです。ただし、このときラリー・マカリはJMI/VOXの営業マンを辞めたわけではなくて、そのままの立場でこのお店を開いています。この「MUSICAL EXCHANGE」がオープンされたとき、ラリーの兄弟であるジョー・マカリがこのお店の経営に参加します。

 同年、MUSICAL EXCHANGEはCHARING CROSS ROAD 102番地にもお店を出店しました。その際同時に「SOLA SOUND LIMITED」という会社も立ち上げます(これは、当時その名前で銀行口座を開いた記録が残っていたために判明していることです)。番地が2ケズレてるとはいえ、間違いなくここのお店はCHARING CROSS ROAD 100番地のVOXショップと同じ場所にあり、看板にはどデカく「VOX」と書かれていました。
 あらゆるVOX製品を研究してる有名な「VOX SHOWROOM」というサイトの記述によれば「ラリー・マカリが後にこのお店の運営権をVOX(=トム・ジェニングス)から買い取った、という話があります。ただし「ラリー・マカリが権利を買い取ったのは1967年」とのことなので、この時点(1964年時点)ではまだ100番地のVOXショップはJMI/VOXの運営だった、と思われます。

 同年、JMI/VOXのボス、トム・ジェニングスは「VOX」のブランド・ライツを世界中にバラ売りします(アメリカのTHOMAS ORGAN CO.がその北米ブランド権を買ったということは、ご承知のことと思われます)。この時イギリスでの「VOX」のブランドライツはROYSTON GROUPという投資会社に売却されました。それに伴い同年、オープンから程なくしてNEW COMPTON STREETにあったVOXのサービスルームも閉店されます。このこともゲイリー・ハーストがインタビューで語っていた通りですね。その後ゲイリー・ハーストは元のVOXショップがあったCHARING CROSS ROAD 100番地に自分の工房を構えます。ですが同じ住所(100番地)にあったVOXのショップはその後もそのまま経営を続けています(ラリー・マカリが主任を務めていたままで)。

 ……えーと、ここまで我ながら「とっても面倒臭い話」をしてるなあ、と思います(笑)。ただしこの時点ではまだ1964年夏頃までの話でして、つまりまだTONE BENDERはこの世に一切存在しない時点での話になります。そしてまた余談を挟みますが、左の写真の人は、ストーンズのマネージャーでもあった(自らアーティスト活動も少しやってましたが)アンドリュー・ルーグ・オールダムです。1964年、彼がロンドンのデンマーク・ストリートを闊歩する、という写真ですが、本稿の主旨とストーンズは一切関係ありません。ただ、当時の街並がどんなモンかな、という写真を探してて、すぐ出てきたのがこれだったので、掲載してみました。

 その後の話の続きです。既にフリーランスになっていたゲイリー・ハーストは一時イタリアに移りますが、1965年春、イタリアから帰ってきた後、元の場所CHARING CROSS ROAD 100番地の一角にあった自分の工房に戻ります。ちょうどそんな頃、ヴィック・フリック(ジョン・バリー・セブンのギタリスト)がマエストロFUZZ TONEを持ってきて、「これをなんとかしてくれ」と依頼してきます。それを契機にしてTONE BENDER(MK1)を作った、というのは、以前にも書いた通りです。

 1965年8月、ゲイリー・ハーストは自分のブランド製品としてそれを商品化し、売り出します。このとき、マカリ兄弟のお店MUSICAL EXCHANGEが「ウチで売ってあげるよ」と協力を申し出ます。言ったのはラリー・マカリです。もちろん昔なじみですし、住所も同じですし、ね。MUSICAL EXCHANGEで販売されることになったTONE BENDERには「SOLA SOUND」のブランド名が小さくプリントされて売られる事になりました。

 左の写真は以前にも掲載したTONE BENDER MK1の広告ですが、これは雑誌『BEAT INSTRUMENTAL』65年10月号にMUSICAL EXCHANGEが出した広告なので、MUSICAL EXCHANGE/SOLA SOUND LTD.としてエッジウェアの住所とDENMARK STREET 22番地が併記されています。またGARY HURST DESIGNと書いてあるのもそういう経緯です。

 TONE BENDER(MK1)が発売に至るまでの経緯は、こんなカンジになります、さてさて、冒頭の方で「人によって歴史認識が違う」と書きましたが、以上の(面倒くさい)文を踏まえた上でお考えいただきたいのは、「誰がTONE BENDERの権利を持ってるのか」ということです。

 先に当方の見解を言ってしまえば、「堂々と主張できる人は誰もいないだろう」という情けない結論(笑)です。だって誰も権利を登録してなかったから(笑)。アメリカの企業は大昔から事細かにパテントを登録/獲得することで有名ですが、イギリスの場合はやっぱり習慣としてそういう気質ではなかったんですね。

 ですが、たとえばJMI/VOXのディック・デニーは「俺こそがTONE BENDERの生みの親だ。俺が作った回路を誰かが盗んでいきやがった」と言います。しかしディック・デニーは既に鬼籍に入りました(2001年没)。彼にとってTONE BENDERとは「JMI/VOX」が生んだもの、ということになります。

 ゲイリー・ハーストは「間違いなく俺が作った。TONE BENDERと名付けたのも俺。VOXは関係ない」と言います。今もそう主張し、現JMIでTONE BENDERを作っています。彼は技師なので、実際に中身を作ったという意味では全くその通りだと思います。

 そしてMACARI'S(現在はラリー&ジョーの兄弟ではなく、それぞれの息子さん、つまり代替えして息子世代が経営してます)の人は「我々マカリ・ファミリーこそがTONE BENDERを作ったのだ」と言います。そして数多くの復刻品を90年代に作ったあと、今はD.A.M.のデヴィッド・メインにTONE BENDERを作ってもらっている、というカンジになるわけです。MACARI'Sは「ウチのTONE BENDERだけが本物だ」と主張します。
 たしかに現在イギリス国内でTONE BENDERの商標権を持ってるのはMACARI'Sですが、それにしたってつい最近デヴィッド・メインから譲って貰った権利なわけで、なんともスッキリしないですよね。

 スッキリしないのは仕方有りません。だって最初のいきさつがそういう複雑なモノだったのは事実なので。昔は皆、同じ場所で仲良く仕事してた人達なのにねえ(笑)。当方も過去に、ゲイリー・ハーストやアンソニー・マカリを始め何人かの当事者や幾人ものファズ歴史研究家にこのことを聞きまくってきました。で、例の(BIG MUFFの研究サイトを運営してる)キット・レイさんというファズ・マニアの研究結果と、当方のかき集めた結果の擦り合わせをして、その結果こういうことなんだな、と思っているわけです。

 ちなみに現在のMACARI'Sのショップは「MACARI'S MUSICAL INSTRUMENTS」という名前で看板を出している「CHARING CROSS ROAD 92-94番地」と「MACARI'S」という名前で「DENMARK STREET 25番地」の2カ所に出店しています。
 最後の最後にまた面倒臭いことを書きますが、実は数年前までは「DENMARK STREET 25番地」にはMUSIC GROUND、つまり現JMIをやってるショップのあった場所なんですよね(笑)。現在MUSIC GROUNDは2つとなりの「27番地」にあります(MUSIC GROUNDはここだけでなく他にも系列店を持っていて、例えば27番地の対面にある5番地の「ROCKERS」という楽器店もMUSIC GROUND直営ショップです)。


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