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5.20.2015

Robert Fripp 1981 Interview - Part 3

INTERVIEW BY STEVE ROSEN, 1981
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※問答無用で最高・最強の演奏を披露する再結成キング・クリムゾン、テレビ番組出演時のライヴ。曲は「ELEPHANT TALK」。こういう音楽ですし、ピコピコと跳ね踊りながらニコニコと演奏するこのメンバーを見て、やはり当時さすがに「プログレ・ファン」と呼ばれる人からはかなりの疑問視を投げかけられたことも事実です。ご覧のように80年代のフリップ先生はROLAND GR300というギターシンセ・システムを多用(ここではノントレム仕様ですが、後にケーラー・トレモロ搭載の同モデルを使用)、アンプもROLAND JAZZ CHORUSということが殆どです。
——曲に関して教えてもらえるかな?
RF:もちろん。何が知りたい?
——それぞれの楽曲がどんなものか、順におさらいしてもらえる?
RF:わかった。「エレファント・トーク」——これは言葉を用いることの困難さ、言葉を使って何かを伝えることの困難さ。「フレイム・バイ・フレイム」——これは演奏するのがとても難しい。「マッテクダサイ」——日本語で「また会いましょう」という意味だ(註:原文ママで訳してます。が、もちろんフリップ先生はちょいと日本語を間違って覚えている模様。ちなみに先生はその後90年代に数ヶ月程日本語を学んだ、という本人証言アリ)。もし最愛の人物があなたから離れて行ってしまうという時に、あなたは何をするか? という曲。
——物理的な距離で、離れて行ってしまう時?
RF:そう、地理的に離れるという時。もし君がロック・ミュージシャンで、君が留まりたいと思う地域にはいられなくなった時。そんな時できることのひとつは「曲を作る」ということだ。これはエイドリアンが彼の妻に向けて作った曲だが、他のメンバーにとっても大きく共感できる部分があるだろう。
——アルバムの中の他の曲は?
RF「インディシプリン」——これは「ディシプリン」と対になるもの。「ディシプリン」はドラマーが曲を維持・持続しようとするときに見えてくるもの。楽しいよ。「インディシプリン」は多くの不安に苛まれている最中から脱出しようという時の、音楽的な外郭を私にもたらしてくれる。私は人間というものは「恐怖心から逃れることの出来ない囚われの身」だとは考えていないんだ。君もトーマス・ハーディーを知っているだろう?(註:イギリス出身の小説家/詩人。いわゆる「宿命論」を代表する作品を多数残した) ウィンボーンに住んでいて、私もその同じ地域にいた。人間の一生というものはそんなに簡単なものではない、なんて上っ面だけで考えてしまうことは誰にでもよくあることだが、そんな時に、こういった音楽的な外郭(Framework)を用いるのだ。どうしようもなく生成されてしまう文字通りの「不安」というものから逃れるために。
——あなたはいつもそうしてきた、と。
※インタビュー中色々と語られていますが、エイドリアン・ブリューの身に一体何が起こったのかはこの「THELA HUN GINJEET」のスタジオ音源を聴くとすぐお分かりいただけると思います。下のライヴ動画は、上の「ELEPHANT〜」と同じ日に収録されたTVライヴ映像。ちょっと暗いのが残念ですが、演奏シーンはガッツリ拝めるので嬉しいですね。
RF「セラ・ハン・ジンジート」——時代錯誤、アナクロだね。都会でのバイオレンスに関する歌だ。都会の路上でおこる暴力と犯罪に関して、面白いストーリーが描かれている。歌詞の中の一節は、「一体何があったんです?」とインタビューした人物が強盗犯人本人だったという話だ。歌ってるのはエイドリアンだが、彼はその強盗犯の共犯としてインタビューされている、という役だ。エイドリアンが録音ブースに入って、マイクの前でその役を演じてみたが、あまり面白くなかったのでダメ出しした。「エイドリアン、これカセットで録音してみたらどうだろう? 実際に路上の1ブロックくらい歩きながらカセットテープで録音したら雰囲気でるんじゃないかな」と。
——路上の男の話、なんだね。
RF:それで1ブロックほどカセットレコーダーを持って彼に歩き回って演技を録音してもらった。「ここら辺りは一番アブナい場所なんだ、アッ誰かが銃口をこっちに向けてる!」ってね。そうやってスタジオの周辺の1ブロックをウロウロしてるだけだったが、本物のギャングや強盗に大量に出くわした、というワケだ。
——ホントなの?
RF:(大声で)「オイお前!そこで何してる!」って言われたのでエイドリアンは「いえ何も、何もしてないッスよ」ってね。ギャングの連中はエイドリアンのカセットレコーダーを掴んで録音されたものをプレイバックしてみた。すると「ここら辺りは一番アブナい場所なんだ、アッ誰かが銃口をこっちに向けてる!」なんて録音されてた。彼らは「オイお前、ピストルがどうしたって? 何があったって? ア? お前警官か?」ってことになり、ストリート・ギャングにエイドリアンもすっかり囲われてしまった。こういう話って、今丁度ロンドンでも問題になっている事態なんだがね。最終的にはエイドリアンは今これこれこういう事情でこんなことをやってたんです、という話をして理解してもらい、その通りを抜け出すことに成功した。カセット・レコーダーに「あいつら絶対オレを殺すつもりだったに違いない」とか入ってたよ。思いがけず急に歌詞の内容が目の前で現実になった、ということだ。だから曲を聴くと、役者として演技をしている部分と、実際に強盗に巡り会ったリアルな部分の境目を見つける事ができる。
——芸術ってのは人生を模倣するもの、だね。
RF:その後警官が2人やってきて、エイドリアンに「今ここで何があった? ん? なんだこれ?」とか言ってきた。で「私はミュージシャンなんです。スタジオで働いています」と。警官は「ん? お前ドラッグとか持ってんのか?」なんて言い出して急に身体検査をし始めた。そしてポケットの中全部、カセットレコーダー、あらゆるものをチェックしまくって、その後その区画の別方向へ去って行ってしまった。その区画を一周するのには5分かそこらで済むハズだが、そんなイザコザに巻き込まれてエイドリアンは14分かかって戻ってきた。ブルブル震えながらね。皆「エイドリアン、一体どうしたんだ? どこ行ってたんだ? 何があった?」と言ったが、私は「どうだいエイドリアン、いいものが録音できたか?」って訊いてみた。エイドリアンは「出来なかった」と。で私は「どういうことだ?」と。彼がスタジオを出ていた間に何があったか、そのカセットレコーダーを廻してみて分かった。それからエイドリアンが全体の話をし始めた。それをカセットに録音し直して、レコードでは採用した。
※掲載順がバラバラで恐縮ですが、上が「FRAME BY FRAME」のライヴ演奏。イギリスBBCのTV番組「OLD GREY WHISTLE TEST」出演時のもの。下がスタジオ録音の「DISCIPLINE」。ともに変拍子を組み合わせたポリリズム楽曲で、しかもフレーズも難解極まります。
——その話が全部「セラ・ハン・ジンジート」で語られている?
RF「セラ・ハン・ジンジート」を聴けば今言った事、そこで何が起こったのかが全部エイドリアンによって語られているよ。
——いいね。
RF「シェルタリング・スカイ」——このタイトルはポール・ボウルズの書籍から引用したものだ。私にとって、このアルバムの中ではおそらく音楽的に最も満足いく結果を残せた1曲だろう。私個人の観点から見ると、私の友人にあてたメッセージ・ソングでもある。あるインプロビゼイションから発想を得た曲だ。ある日、テープを廻し続けながらただただ演奏していた時、その後にそのテープを聞き直してみて「これをやってみよう」ということになった。曲も演奏も、全て、ただその場で起こったこと、自然発生で起こったことを記録しただけだ。我々はただシンプルにその場で演奏し、それを曲の外郭として使用した。
——タイトル曲は?
RF「ディシプリン」——“修練”はまさにプレイするために必要なものだ。曲の始まりとしてリズム・セクションは8分の17拍子でスタートする。そこにギターが8分の15拍子で合わせる。そう、簡単な曲ではない。これこそがこのアルバムの基本となるものだ。
——この曲は録音するまでどのくらいかかった?
RF:実質19日かかったね。リミックスとオーバーダビングを含めて。基本的にはスタジオでライヴ演奏したものを録音するだけで、オーバーダブは最小限しかしていない。一般的に、レコーディングには2つの王道というべきアプローチがある。スタジオに入ってから曲を書き、それを覚えて、プレイして完成するという方法。私のやり方というのは「予習ありき」というもので、楽曲を書き、それから出向いてプレイする。プレイしてる間に覚えてしまって、それで録音作業に入る。
——あなたにとって最も親しみのある方法、ということだね?
RF:先にスタジオに入ってしまう、ということもある。何をどうするか、によるが。バンドでプレイするという場合、バンドの1員であるという場合、楽曲は先にツアーに出てライヴで習得することをおすすめするよ。
——プロデューサーはあなた?
RF:プロデューサーはキング・クリムゾンとレット・デイヴィス。楽曲はすべてバンド全員で書いた。
——バンド全員?
RF:そうだ。全員が作曲に携わった。
——そのレコードはいつ発売になるのだろう?
RF:公式には9月11日に発売されると発表されている。今も9月11日だという予定のまま変わりはないが、新しいアイデアはいつも思い浮かんでしまうものだからね。10月7日に世界発売しようか、とも考えている(註:実際にはアルバム『DISCIPLINE』は81年9月22日に世界同時発売された)
——キング・クリムゾンでツアーに出る?
※82年発表作に続いて、フリップ先生はアンディー・サマーズともう一枚共演盤を制作。84年9月に発表されています。動画は同作冒頭曲「PARADE」。まるでジグジグ・スパトニックかよと思うようなシンセ・ポップで面食らいます(笑)。前作と異なりこちらではゲスト・ミュージシャンが多数参加。本作ではフリップ、サマーズともにギター・シンセを多用しているのですが、2人がギター・シンセを使って練習している模様がドキュメンタリー映像として残されています(下の動画)。


RF:ああ。丁度ロンドンでそのリハーサルを始めたところだ。一番最初のライヴは、ロンドンのバースにあるベジタリアン・ワイン・バー兼レストランで、客席はスタンディングで120人とかそんなくらいの広さのところでね。それからウィルトシャーでもプレイする。その後ロンドンで2日ライヴをやって、その後オランダで2日、ドイツで5日間、という予定だ。10月22日にはカナダのトロントで、それからアメリカの東海岸をツアーする。それからアトランタ、テキサス、感謝祭(アメリカでは11月の終わりのほう)のあたりになればカリフォルニアに行く。そしてシアトル、ポートランド、カルガリー、エドモントン、12月5日にはヴァンクーヴァーでのライヴが決定してる。その後日本に行って、12月17日の日本でのライヴでそのツアーは一段落。その後私はニューヨークに行って、3日間友人達と過ごす。それからイギリスに戻って、家族とクリスマス、だ。
——凄く忙しいスケジュールだね。
RF:1月の最初の2週間は、アンディー・サマーズとのアルバムのミキシングが予定されてる。2月の第1週にはクリムゾンのリハーサルが再開する。
——あなたはソロ活動とか他のプロジェクトをやるつもりはないの?
RF:えっと、それはアンディー・サマーズとの共演になるだろう。アイデアはいろいろあるが、今決まってるモノは何もない。


※完全な余談となりますが、フリップ先生の妹さん、パトリシア・フリップさんは米国在住で「会話術」の講師をしているという人。大学他で講演活動を行なっているのですが、時たま兄のフリップ先生もこの妹さんの活動に参加して講義を行っている模様(今回のインタビューの時点で、この妹さんとの講義活動を指しているとはあまり思えないのですが)。http://www.fripp.com
——その他の活動での予定は?
RF:今私が勤しんでいるのは、ローチェスの3人をイジメ倒すことだ。彼女達の次のアルバムをプロデュースすることになってるから(註:女性3人組のフォーク・トリオ、ローチェスは79年デビュー。79年の1枚目と、82年の3作目はフリップ先生のプロデュース)。ああ、それからマックス・ローチと共演することになるかもしれない。バンド形式で、アンディー・サマーズと、マックス・ローチと、私と、それからもう1人ベーシストを加えてね。でも今の所、私もアンディーもマックス・ローチとは一度ディナーを一緒したことがある、というだけなんだ。ニューヨークで私がフリッパートロニクスの演奏をしていた時にそれを見に来てくれてた時にね。アンディーにはポリスの活動があり、私にはクリムゾンの活動がある。その上また別なプロジェクトをやるのはとても難しい。とはいえ、それとは別で、大学で講義をやりたいとは思ってるんだ。アメリカ中を講義で回るんだ。
——ポリスとクリムゾンが一緒にツアーでまわる、なんていう可能性は?
RF:ないな。
——1982年のキング・クリムゾンはより大きな成功をするだろうと考えてる?
RF:いや、83年のクリムゾンのほうがそれよりも成功しているだろうね。なんといってもこのバンドの契約は3年間だから。それじゃ、これで。

Interview by Steven Rosen in 1981. / Article written in 1981, revised in 2015.
Translated by Tats Ohisa. ©2015 Steven Rosen / Buzz the Fuzz

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5.16.2015

Robert Fripp 1981 Interview - Part 2

INTERVIEW BY STEVE ROSEN, 1981
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——でも、またやることにした。
RF:ディシプリンというバンド名で一晩400ポンドを稼ぐか、もしくはキング・クリムゾンというバンド名で一晩1000ポンドを稼ぐか、そういう選択肢を与えられたことがあってね。私は「このバンドはディシプリンという名のバンドなんだ」と言ったよ。しかしその後の1週間程の間で、3ピース編成でのリハーサルを初めてみたのだが、その時に気付いたんだ。バンドとは何か、ということ。そしてその時演奏していたバンドとはどんなものだったか、ということ。これから出発するこのバンドの裏側で吹き出しているポテンシャルと、それを成し遂げる意味を。



※78年から80年にかけて、フリップ先生はデボラ・ハリー率いるブロンディーと何度も共演しています。この時期ブロンディーと「SISTER MIDNIGHT」とか「HEROES」とかボウイ楽曲を演奏する機会も多く、最近再結成したブロンディーも「HEROES」をレパートリーにしたりしています。それにしても上の動画、あのフリップ先生がデボラ・ハリーとイチャついてますね。何考えてんでしょうか先生は。
 そしてそれはバンド自身の生命を決定付ける文化的なアイコンが生まれる場所でもある。ブロンディーという単語はデボラ・ハリーを指すものではなく、ビートルズという単語はジョン、ポール、ジョージ、リンゴを指す言葉ではない。つまりそいういうことだ。同時に1個人としてのロバート・フリップは、今までけしてやらなかったことを、これからやろうとしている。もし君がこれからステージに上がって、聴衆の前で何か役割を担うと覚悟を決めたとき、エネルギーがわき起こってくるものだろう? どんな手法で、何を使って、と考える時に、エネルギーはわき起こるものだ。
——そのエネルギーをあなたは再び手にしたと?
RF:キング・クリムゾンにとってもね。私はこのバンドにも、そして私にもそういうポテンシャルがあるのだ、と気付くようになった。ツアーに出始めてすぐにビル・ブラフォードが私に「我々にはあの名前を使う権利があるよね」と言ってきた。そして「我々はキング・クリムゾンだ」と名乗る事になんら問題は存在しなかった。他の誰もキング・クリムゾンを再結成することはできないし、キング・クリムゾンという名のバンドを新たに作ることもできない。このバンドこそが純粋にキング・クリムゾンなのだ。皆がすべきことは、アルバムを聞いて、そしてこのバンドを見て欲しい。そうすればすべての議論は終焉を迎えるだろう。そう私は思うね。
——その結果はハッピーなもの、と確信する?
RF:いやいやそんなのは「神のみぞ知る」だよ。私に何ができるって? もし血まみれの結末が見えていてそこに関与するかもしれないというのなら、もちろん私はこんな行動には出ないだろう。この成り行きには満足してる。ああ、たしかにハッピーだし、まあテキトーに言うのならその質問の答えはイエスだ。我々が今成していることは正しいと感じているが、この先どういう行動に出るかなどと今我々が予測することはとてもできないのだ。
——昔のキング・クリムゾンのレコードからなにかしらの要素をここで用いようとはしてみた?
RF:うーん、もちろん昔のクリムゾンと関連があるポイントというのは存在するだろう。なぜならそれは「伝統」だからね。伝統というものは事を成し遂げる際にひとつの指針となるものだ。仕事の手法、それは音楽の構成とかそういったものに関連して特定されるようなものだから。
——その「音楽の構成」というのがどういうもの?
RF:たとえばキング・クリムゾンというのはいつも折衷主義だ。そしていつも素晴らしいプレイヤーによって構成されていて、いつも機動性に富む。今の我々にはそれが全て存在している。ただし、歴史を単純におさらいするような存在では、それはバンドとは言えない。
——バンドではない?
RF:ああ。このバンドは1981年に存在するバンドで、我々が音楽的に向かう次のステップというのはかなりの危険を伴うものだ。よりインプロヴィゼイションを多用する方向となるだろう。そしてその次に、形式として、よりリズミックで、パーカッシヴで、耳障りで、ペンタトニックを多用したメタリックなノイズがふんだんに盛り込まれたものになるだろう。それはあくまで「音楽的な次のステップ」として想定しているもので、かなりフリーキーなものだ。次の月曜から我々はロンドンでリハーサルに入る。丁度今日から1週間後だね。
——ツアーに出る予定?
RF:えっと、既に我々はある意味ツアー中だとも言える。ワーナー・ブラザーズ(註:再結成クリムゾンは、イギリスではEGレコード、アメリカではワーナー・ブラザーズ、その他の国ではバージン・レコードから発売されています)を訪れて、我々がこのプロジェクトに関して言うべきことを全て彼らに知ってもらう必要がある。そしてその作業というのはまさに旅に出るような途方もない真摯さを求められるものなのだ。今や全てのレコード会社は売り出すべきバンドを既に保持し、売り出すべき優先順位を既に確定させている。我々にはその優先順位はまわってこない。なぜならこういう場合のレコード会社のサポートというものは、我々が何をしているか、それを見た人の偏見に基づくものだから。バンドというものはそのバンドのレベルに見合ったよいサポートがあれば良しと思われるが、レベル以上に過剰にプッシュされてしまうと良しとは思われない。ワーナー・ブラザーズに対して願うことは、「キング・クリムゾンを見たら腰を抜かすほど驚くだろうからその準備をしておけ」ということだね。
——ワーナー・ブラザーズはあなたたちにあまり期待していない?
RF:もし倉庫から急に5万枚もの在庫が消えてしまって「在庫があと50枚しかありません!」なんてことになれば、ツアーが終わるころにはすぐさま15万枚ほどの売り上げを上げる事も見込めるだろう。今我々は希望を持ってここ(米国)にいるし、彼らには我々が必要としている音楽マーケットにおけるより良いサポートを期待して、それを願うためにここにいる。
——ワーナー・ブラザーズにはキング・クリムゾンがどんなバンドかを理解してもらえた、と思う?
RF:もし誰か私の言ってることを理解してくれる人がワーナー・ブラザーズのとある制作部門で働いていたとしたら、その部門はレコード業界で最良の制作部門になるだろう、ということだ。この業界には大量に人が存在し、あらゆるジャッジがそこにはある。ワーナー・ブラザーズは決して3番手に甘んじるような会社ではなく、そんな低い位置にいる会社であるにはあまりに非効率と言えるほど巨大な会社だ。彼らは業界のトップに君臨するレベルにある。ワーナー・ブラザーズが25000枚のセールスを考えるような会社であればそれはあまりに非効率的だし、私も考えを改めるだろう。
——また再びキング・クリムゾンでやろう、となったときに、ミュージシャン達の反応はどんなものだった?
RF:いや、別に「さあキング・クリムゾンの再結成だぞ」なんてメンバーに電話して言ったわけじゃない。私が言ったのは「バンドに関して、ひとつアイデアがあるんだ。君も興味を持つだろうと思うのだけど、言ってみてもいいかな?」と。彼らの返事は「もちろん」。エイドリアン・ブリューには電話して相談した。そういえばビル・ブラフォードにも朝の10時くらいに電話をしたな。エイドリアンは誠実で、常識があって、ドラックとかアルコールに関して一切問題がない男だ。既婚で、家族を重んじるナイスガイ。ところが朝の10時に彼に電話したところ「んーーーーー、んーーーー」と繰り替えすばかりだった。というのも、その前夜にトーキング・ヘッズがロンドンでライヴをやってて、ライヴの後に皆でロシアン・レストランへ繰り出してしこたまウォッカを楽しんだ、とのことだった。それで私はその朝の電話口で「なあエイドリアン、ちょっとアイデアがあるんだけど」と言ったが、彼は「んーーーーー、んーーーー」と繰り返しすばかりだ。電話の終わりのほうではもう彼は死んでたね。なので私は午後になってもう一度電話をかけ直すハメになった。


※再結成クリムゾンはステージでいつも「太陽と戦慄パート2」をレパートリーとして披露しています。ええ、フリップ先生が言うまでもなく、トニー・レヴィンのプレイは凄まじいですよね。動画は82年のものなので「聴いたことも弾いたこともない」という時期には当たりませんが(笑)。
——トニー・レヴィンの場合はどう?
RF:トニーはこのバンドに関わりたくないのではないか、と思っていたんだ。というのも、彼はクリムゾンのメンバーだったことがなかったから。まず81年の2月にビルと私がニューヨークに赴き、まずエイドリアンに会った。ビルはエイドリアンと一緒にステージを経験したことがあって、トーキング・ヘッズでの彼のプレイをとても気に入っていたから。ただこの時は、エイドリアンと会って、一緒にリハでプレイしてみた、というだけだった。で、ニューヨーク滞在の3日目にトニーがその場にやってきた。この男だ!と思ったね。彼もただリハに参加して、プレイして、颯爽と去って行ったが。それまで一度も「太陽と戦慄パート2」を演奏したこともないし、聴いたことさえないと言ってた。しかしそのリハーサルでは彼のプレイは他の誰よりも素晴らしいものだった。ただ曲をコピーして演奏しただけだったのだが。
——それでトニー・レヴィンこそが最適なベーシストだと分かった?
RF:リハの4日目の終わりのほうで、エイドリアンが言ったんだ。「なあ、僕はこのバンドと一緒にはやっていけない」と。彼は実存主義的な、アーティスティックなジレンマというものを抱えていたんだ。それは長らくサイドマンとして活動していたから、固定的なバンドメンバーにはなれないと考えていたようだ。彼は自分のソロ作品をやる必要もあったし、そこでは彼は自分のバンドを持っていたし。なのでエイドリアンは集中できなかった。トニーはいろんなプロジェクトに関与していたが、とりあえず全部やってみて、あとから俯瞰でこのバンドを考えてみる、というカンジだった。自分自身の立ち位置をそれほど重要視してないようだったね。リハの翌週にパリにいるから、そこから私に電話をかけてくれる、とのことだった。そんなことで3月1日に私はイギリスに戻った。3月の半ばにはまたニューヨークに戻る準備をすることにした。そうした重要な人間関係を築くためにね。


※ザッパ・バンドでプロデビュー、その後デヴィッド・ボウイ・バンドやトーキング・ヘッズに参加したエイドリアン・ブリューは82年にソロ・デビュー作『LONE RHINO』を発表しています。録音は81年の夏、つまり丁度このインタビューが行なわれた辺りのことになります。既に忙しい身だったブリューですから、クリムゾン参加は当然悩んだことと思われます。
——全部が宙に浮いてしまった、というカンジ?
RF:イギリスに戻ってから、エイドリアンが「バンドには参加しない」と言ってきた。トニーはパリで誰かのアルバムの録音に参加していて、そこから電話をかけてきて「バンドには参加しない」と言ってきた。それで私は3月中旬までイギリスに留まり、フェアで、熟考に値するコストで、この冒険をなんとか成就できないだろうかと私なりに考えた。まあ最初からこのバンドが簡単に流れに乗るだろうとは一瞬たりと考えたことはなかったがね。このバンドはメンバー個々のコスト面での条件がとても高いんだ。
——てっきり「歌えるベーシスト」が条件かと思ってましたが。
RF:おっと、たしかにそれはあったかも。でもいままでそんなこと考えたこともなかったよ。
——そういう人(歌えるベーシスト)と何度も組んでたでしょう?
RF:そうだったかな? よく分からないな。いやいや、そんなことはないな。そんなことはない。そう、確かに歌うベーシストと一緒にやってたな。サックスを吹きながら歌えるプレイヤーはいないだろうか、とか、バイオリンを弾きながら同時に歌えるプレイヤーはいないだろうかと考えたこともあったかな。私には歌は歌えないので、ではベーシストが歌う事にしよう、という単純な流れだよ。
——歌えるベーシストを意識的に探していたわけじゃなかった、と?
RF:その通り。


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5.13.2015

Robert Fripp 1981 Interview - Part 1


INTERVIEW BY STEVE ROSEN, 1981
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 1969年10月に発表されたキング・クリムゾンのデビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』によって、世界はロバート・フリップと彼の率いるグループによってもたらされる、とても楽天的な——そしてときに奇妙な——狂気を知ることになった。グループがスタートして以降、他のメンバーの音楽的配分のガイダンスとなっていたのはフリップだった。クリムゾンの進路は常にフリップによる独特なビジョンによって描かれてはいたが、しかしフリップの弁によれば「キング・クリムゾンという存在は一人歩きしはじめた」。ここでのフリップは、アンディー・サマーズとの共作『I ADVANCE MASKED(邦題:心象表現)』、そして『ディシプリン』と題された新しいキング・クリムゾンの作品に関して語る。



——あなたにとって、それとキング・クリムゾンにとって、新しいニュースがあるよね?
ロバート・フリップ(RF):私にとっては、アンディー・サマーズとのギター2本によるアルバムがそれにあたるだろう。アンディーも私も、イングランドの同じ地域の出身で、もう18年も以前から知っている仲だ。彼はボーンマウスにある「ミンズ」という名のレコード・ショップで働いていたことがある。そのレコード店には2人のならず者な店員がいて、そのうち一人がアンディーだったんだ——もう一人のならず者はクリス・スペディングだったが。アンディーはただ単純に「天然で無頓着」というタイプの人で、クリス・スペディングは「だらしない」というタイプだった。アンディーはその町にあった「マジェスティック」というユダヤ系ホテルでも働いていて、そこはバル・ミツワ(註:ユダヤ教徒の成人式。男子が13歳、女子が12歳で行なうもの)とか、結婚式とか、晩餐会とか、そんな催しをやってた場所だ。


※写真はズート・マネー&ビッグ・ロール・バンド。60年代前半にアンディー・サマーズはこのバンドに参加してプロ・キャリアを開始。その後一時期だけソフト・マシーンに参加した後、元アニマルズのエリック・バードンに引き抜かれてズート・マネーと共に後期アニマルズに参加。そのまま渡米し西海岸でエリック・バードン等と5年ほど活動を共にします。70年代中頃に帰英し、ケヴィン・エアーズとかマイク・オールドフィールドの作品に参加。その後ザ・ポリスを結成しています。
——そんなに昔からアンディーと知り合いだったんだ。
RF:ただ彼はズート・マネーのバンド(ズート・マネー&ザ・ビッグ・ロール・バンド)に参加することになりロンドンに上京したので地元を離れた。その後彼は4〜5年間くらいエリック・バードン&ジ・アニマルズに参加するためにロサンゼルスに移ったハズだ。それで別の「異教徒」が彼の後を受け継ぐ。「異教徒」は沢山いるが、「異教」てのは単体の概念だがね(訳註:原文は Is goy the plural and goyim the singular. GOYはヘブライ語聖書でイスラエル民族を指す語で、その後ユダヤ教でない人を指す差別用語として使われています。上にもユダヤ系移民の生活様式とかが出てきますが、そちら方面の知識に明るくないので、どの程度の柔らかさの台詞かがわかりませんでした。ただここでは「前任者が居なくなったからフリップがその代役として参加した。サマーズもフリップもともにユダヤ系ではないのに」という意味で使われたと思われます)。ともかく彼がいなくなって、別の人間が彼の後を受け継いだわけだ。私はその後3年ほどバル・ミツワ、結婚式、チャールストン・パーティー、素早いダンスステップのための音楽、タンゴ、ツイスト、そんなところで3年間プレイして、大学にいくための金を稼いだわけだ。
——今言ってたのが、ジャイルズ兄弟とのバンド?
RF:いや、その時はマジェスティック・ダンス・オーケストラという名だった。それが全部終わってから、私はジャイルズ兄弟と一緒になり、ロンドンへ行った。これがジャイルズ・ジャイルズ&フリップだ。


※1979年、米TV番組「MIDNIGHT SPESIAL」に出演し、フリッパートロニクスを披露するフリップ先生。フリッパートロニクスはテープエコー2台(うち1台は逆回転)とフリップの演奏という「システム」を指す言葉です。演奏し、エコーマシンがディレイ再生するフレーズに次の自身の演奏を併せて、というのを延々と繰り返す新しいインプロ演奏の形態、と言い換えることもできます。
——アンディー・サマーズとコラボすることになったきっかけは?
RF:彼から言ってきたんだ。ブロンディーと一緒に出演したTV番組「ミッドナイト・スペシャル」で私がフリッパートロニクスを披露していたのを彼が見て、気に入ってくれた。それで「一緒にアルバムを作ろう」と。
——アンディーがポリスでやってたプレイに関してどう思ってた?
RF:素晴らしいよ。アンディーは本当に、真に素晴らしいギター・プレイヤーだ。全ての人は彼の良さに気付く必要があるね。彼は前にシャシャり出て、見せびらかすようなプレイをすることはない。しかし本当に幅広い基礎がベースになってて、経験豊かなプロのミュージシャンだ。それでいてベテランのプロフェッショナルにありがちな古臭い印象など微塵も感じない。
——アンディー・サマーズを「ソロ・ギタリスト」(註:ここでは「リード・ギターを弾くプレイヤー」の意)だと考えることはある?
RF:ああもちろん。彼は素晴らしいソロ・プレイを弾くが、ポリスではたまたまそのプレイをしない、というだけだ。私の知る限りアンディー・サマーズこそが最も素晴らしいソロ・プレイを演奏するギタリストだ。実際に彼は『心象表現』の中でも全てのソロを演奏している。

※81年に録音、82年に発表されたアンディー・サマーズ&ロバート・フリップ『心象表現』。インタビューでも発言されたように演奏家はサマーズ&フリップの2人だけですが、こちらの動画(タイトル曲)でもわかるように、エクスペリメンタルというよりはポップなNYニューウェイヴ色の濃いアレンジです。MVに出てくる日本語はちょっとアレですが(笑)。

——『心象表現』はあなたとアンディー2人だけしか演奏してないの?
RF:2本のギターだけ。他の様々な楽器に関して、我々2人はまったく有能だとは言えない。部分的に、私がキーボードを、アンディーがパーカッションを担当してはいるのだが。アンディーはただブースに出て行ってシンバルを叩き付け、タンバリンを振り回し、ベースもかき鳴らしてたが。ただ基本的に、2本のギターだけのアルバムだ。
——楽曲の作曲は2人で?
RF:えーと、とある火曜日、我々は座って膝を突き合わせて「さてと、何をやろうか?」と話し合った。それで最初の5日間は作曲作業に集中した。次の5日間はその曲のプレイの練習に集中し、その次の5日でそれらを録音する作業に集中した。基本的にそんな流れではあったけど、やはり最後の2日間っていうタイミングになるまで我々の中からどんどん新しいアイデア、新しい素材が生まれでてくるものではあったが。
——アルバムはいつ発表されるの?
RF:こんどの1月に2週間かけてミックス作業をする。そこから先はちょっと分からないな。でもおそらく3月の末か、4月の頭には発売されるんじゃないだろうか。アメリカのA&Mレーベルからね。
——録音はどこでやったの?
RF:「アーニーズ・シャック」という名の、地元のボーンマウスのスタジオだよ。長いこと地元を離れずエンジニアになるためにボーンマウスの町にとどまったギタリストがいるのだが、彼がやっているスタジオで、デモ・スタジオとしてはイギリスで最良の場所だね。
——キング・クリムゾンが再結成、とのことだけど。
RF:そんな風に見える、っていうだけだ。
——なぜ? いつ? どこで?
RF:何かキング・クリムゾンから声明文でも届いたか?
——いえ。
RF:いいかい良く聞け、こういう話はとても長い時間を要するものなんだ。では君に公式声明文を授けよう。私はこの7年もの間「なぜあなたはバンドを脱退したのですか?」と質問され続けてきた(このときフリップはプレス・リリースが部屋のどこかにあるハズだと言いながら、ホテルの部屋中を家捜しし始めた)。えっと、それを実際に私が喋っているのを、テープに録音したいのだろう?
——いや、別に。
RF:ああそうか。なら良かった。
——最初に我々が会ったときあなたが私にしたことを、今思い出しましたよ。インタビューしにきたらあなたは私から質問状を取り上げてしまって、あなたは自分で質問状を読み上げて、自分でそれに答えていた。私はあの場に不必要でしたね。ところで音楽に関して話してもらえますか?
RF:何が知りたい?
——新しい作品の音楽を。
RF:そうだね。新しい音楽という言葉を使うとき、それはスタイルを指すものではない。指すべきは質なのだ。もし話が面倒くさくて混乱すると感じるのなら、ここから先は捨ててくれていい。だがこれが真実だ。新しい音楽とはスタイルとは関係ない。質なのだ。もし誰かキング・クリムゾンの名を知ってる人がいて、もし彼が過去のクリムゾン作品に興味をもってくれたとしよう。そういう人であれば、今の新しいバンドは明らかにキング・クリムゾンである、と分かってくれるハズだ。そしてこれは1981年のキング・クリムゾンだ、と理解できるだろう。歴史の中ではなく、現在の姿だと。
——以前「もうクリムゾンを再結成することはないだろう」と言ったことが一度ありますよね?
RF:ああ。今回の件が起こり始めるまではそう思ってた。だって酷い話じゃないか。とても我慢できないよ。私が「ヘイ!オイラはキング・クリムゾンを再結成しちゃうぜい!」なんて言う姿は。まったくおぞましい。だが君も知っているように、キング・クリムゾンという存在はそこに関わった人々の手から離れて、すでに単体で存在しうる巨大な存在となってしまった。とても強力なバンドで、とても奇怪なバンドでもあった。いつもイギリスでは、賛否両論が激しく争われるバンドでもある。だからバンドは混乱をきたした。あるイギリスのエージェントは我々にこう言ったものだよ——評価はたった2つしかない。一切興味を持たれないか、もしくは熱狂的ヒステリアになるかの2つだ、と。キング・クリムゾンに関して「無関心」を決め込む評価というものは長い長い歴史がある。だから私は再結成すべきかどうか、と真面目に座って検討したことなどなかった。


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5.06.2015

Robert Fripp 1981 Interview - Introduction




 さてさて、お待ちいただいた方には本当に長らくお待たせしてしまって申し訳ありません。そういうワケでもないよっていう方、まったく興味ない方には本当に恐縮ですが、またしてもロバート・フリップ先生のインタビューを、次回以降何週かにわけて掲載していこうと思います。

 1981年の初夏に行なわれたこのインタビューは、その直後の秋にエイドリアン・ブリュー(G, Vo)、トニー・レヴィン(B)、ビル・ブラフォード(Dr/本当は彼の名はブリュフォードと発音します。本人も日本で自分の名が「ブラフォード」と書かれるのを嫌っているのだそうですが、本稿では「昔ながらの表記」に従ってブラフォードと書いています。その方が読む人にピンとくるから。笑)、そしてロバート・フリップ(G)という4人組で再結成することになったキング・クリムゾンの復活アルバム『ディシプリン』の発売直前に行なわれたものです。

 前回当ブログで掲載したインタビューは1974年。それから7年経っています。時代は既に変わっていました。あの後名作アルバム『RED』を出すも、バンドを解散、本人も引退を決意(!)。その2年後にボウイ&イーノから「またギター弾けよ」と引っ張り出されてギタリストに復帰。その後ニューヨークに頻繁に出向くようになり、いわゆるガッチガチの理論的実験音楽(フリッパートロニクス)と、もっともっとポップでウッキウキなダンス・ミュージック(ディスコトロニクス)という、もうワケわかんねえよ先生!としか言いようのない(笑)両極端な音楽を探求し始めた時期です。
 78年にはピーター・ガブリエルのアルバムをプロデュースしたり、ダリル・ホールのソロ・デビュー・アルバムをプロデュースしたり(これ、ホントに不可思議なアルバムですよね。フリップ先生のグチャグチャな音楽の上で、あのダリル・ホールがソロで朗々と歌い上げるという。笑)、とにかくこの時期はフリップ先生なりの「ニュー・ウェイヴ」を必死に探っていた時期だと思われます。で、その実験の延長として生まれた4人組バンド。でしたが、ある日「これってキング・クリムゾンだよな」という思いつきでそのバンドを変名し、クリムゾンが復活することになりました。

 74年のインタビューと比べると、機材のことは一切喋っていませんし、それよりもなによりも、前回のようなガッチガチな理詰めの発言にはなっていません。ニューヨークでの夜遊び(註:70年代後半、ニューヨークのデカいディスコに夜な夜な足繁く通い踊り狂うフリップ先生の目撃談が多数存在します)を経験したせいで、人と喋る時にフランクな所作を身につけたのか(笑)、その辺はよくわかりませんが、とにかく74年インタビューに比べて100倍くらいフランクに喋っています。内容は、今後発売されるクリムゾンの新作に関して、です。

 80年代以降、フリップ先生の発言は極端にフランクか、もしくは極端に理詰めか、の2つに分類されます。前者は今回のインタビューのようなもの、後者は「J.G.ベネット、もしくはそのお師匠さんのグルジェフの神秘思想、それから修練(=DISCIPLINE)の重要性、そんなことに関してトクトクと面倒くさい説明をするもの」に大別されます。どちらもとても(当方のようなヘンテコなフリップ・ファンには)面白いものなのですが、すくなくとも音楽ファンの大半の方にはどうでもいい内容でもあるわけで(笑)。いずれにせよ、フリップ先生は80年代以降そんなカンジとなってしまったので、(パブリック・イメージとして)カルトヒーローの域に完全に閉じこもってしまいます。つまり「知る人ぞ知る」というロック・アイコン、ですね。

 この時期に残された「理詰めの」インタビューとして有名なものは、アルバム『ディシプリン』の日本盤ライナーノーツに転用された、渋谷陽一氏によるインタビューが挙げられるでしょう。抜粋故に短いテキストですが、「なぜフリッパートロニクスなのか」「なぜディスコトロニクスなのか」「なぜ今キング・クリムゾンなのか」を喋ってる先生はまさに凛としたカリスマ(笑)。実は本人は女好きで有名ですけどね(82年、あのジューシー・フルーツのイリア嬢と雑誌で対談をしていますが、しょっちゅうセクハラするフリップ先生のお姿がそのまま誌面に掲載されています)。右の写真は70年代末に仲良くしてたデボラ・ハリーと、それから後の86年に結婚することになるトーヤ嬢との写真です。もちろんフリップ先生は今は愛妻家としてTV番組に出演するほどの「正しい初老」のオジサンですが。

 今回もインタビュアーは例のスティーヴ・ローゼン氏。インタビュー中「初めてあなたに会った時」というエピソードが出てきますが、それは前掲した74年インタビューを指します。フリップ氏は忘れてるようですが、ローゼン氏はその時のことをよく覚えていて、「最高に面白い人だった。さあインタビューを始めよう、となった瞬間にフリップは僕の質問状を取り上げてしまった。そして自分でマイクに向かって質問事項を読み上げ、その後自分で全部答えるんだ。僕の出る幕はなかった。途中チャチャを入れてはみたものの、僕の発した質問には4ワードくらいでしか答えない。質問状の質問には400ワードほどを使って雄弁に喋り続けるのだけど」というエピソードを当方にも改めて教えてくれました。そんなフリップ先生&ローゼン氏の7年ぶりの再会ですが、おそらくローゼン氏も拍子抜けしたであろうことは想像に難くありません(笑)。

 このインタビューでは(それほど詳細に分析した、というものではありませんが)フリップ先生本人がアルバム『ディシプリン』の全曲を解説しています。また、この10数年後に実際にフリップ先生が(音楽活動をそっちのけにするホドに)長い時間を裂いて闘うことになる「レコード会社との闘争」に関しても触れています。そんな意味でも、貴重な時期、ちょうど人生の岐路にいるフリップ先生のインタビュー、ということが出来るかもしれません。

 本稿ではもちろん触れられてはいませんが、『ディシプリン』の後にアルバムを2作発表し、この再結成クリムゾンは84年に休止します。フリップ先生は、実はこのアルバム(『ディシプリン』)を出すためだけにクリムゾンを再結成し、あとの2作はオマケである、と後に公言しています。ヒドイよ先生(笑)。ともかく、結果的に『クリムゾン・キングの宮殿』『レッド』にならぶ大傑作(註:これはフリップ先生自身の作品評価ですが、当方個人も完全に同意します)がこうやってできた、という証として、このインタビューをお楽しみいただければ幸いです。

 最後にオマケ。ギタリストを目指す人へのメッセージとしてフリップ先生が90年代以降に残した主な発言——「プロなど目指さず趣味にしておきなさい」「母親に聴かせて気に入ってもらえなかったらあきらめろ」「私のクリムゾン人生は悲惨の一語につきる」——ヒドイよ先生(笑)。

Young Person's Guide to
ROBERT FRIPP 77 - 85


David Bowie / Heroes (77) イーノ&ボウイに説得されて復活を決めた先生。「毛むくじゃらなロック・ギター」という要望に答え、本作でとんでもない最高の演奏を残しています。使ってるファズはもちろんギルド「FOXEY LADY」。


Peter Gabriel / ST (78) ピーガブのソロ2作目(通称:スクラッチ)はフリップ先生のプロデュース。ここで先生はトニー・レヴィン(b)と共演。


Robert Fripp / Exposure (79) NYパンクへの接近、それと同時に多彩なゲストを迎えて残された先生のソロ作。本作の歌詞はすべて当時の先生の彼女だったジョアンナ・ウォルトンという女性によるもの。


Daryl Hall / Sacred Songs (80) ピーガブの2作目、先生のソロ作と「3部作」という観念で制作されたダリル・ホールのソロ・デビュー盤。シンガーのソロ作なのに先生はフリッパートロニクスのインスト曲をぶっ込んでしまうという(笑)。


Robert Fripp / God Save The Queen / Under Heavy Manners (80) 前半をフリッパートロニクスによるインプロ演奏で、後半をディスコトロニクス手法による楽曲で構成したもの。ホントは先生は「別々に出したかった」ようです。


David Bowie / Scary Monsters (80) 「HEROES」参加以降、どうやら「ツアーに出る・出ない」で一時期ボウイと仲違いしてたようなのですが(笑)、ここでもまた先生との共演が復活。最狂のギターを鳴らしています。


Robert Fripp / The League Of Gentlemen (81) XTCのバリー・アンドリュース、後期ギャング・オブ・フォーのサラ・リー等が参加した、リーグ・オブ・ジェントルメンというバンド編成で録音されたソロ作。ブリブリのニューウェイヴ・サウンドで超オススメ作品なのですが、90年に一度CD化されて以降本作は封印されています。


Robert Fripp / Let The Power Fall (81) 全編フリッパートロニクスで構成された作品。この音楽はなんだ?と聴かれても「これがフリッパートロニクスです」としか答えられないのですが(笑)本人によるライナーノーツが筆舌に尽くしがたい程素晴らしい。


King Crimson / Discipline (81) クリムゾンの復活。ただの復活ではなくて、何もかも完全に新しいクリムゾンです。タイトルを「規律」と訳す方もいますが、当方的にはやはり「修練」としたいところです。


King Crimson / Beat (82) クリムゾン流の「ビート・ジェネレーション音楽」だという「Neal, Jacques and Me」で幕を開ける復活クリムゾンの2作目。ジャケも中身ももの凄くポップです。


King Crimson / Three of a Perfect Pair (84) 本作の隠れテーマはジョージ・オーウェル「1984」。10年経って出来た続編「太陽と戦慄PT3」で幕を閉じる本作で、クリムゾン80年代復活祭りは終わりました。


Robert Fripp / Network (85) 70年代末から80年代にかけて先生が録り貯めた素材を元に構成されたミニアルバム。ダリル・ホール、フィル・コリンズ、トニー・レヴィン、ブライアン・イーノ、デヴィッド・バーン、ピーター・ガブリエルが参加。

(アンディー・サマーズとの共演作に関しては本文中にて別途掲載します)


11.11.2013

Robert Fripp 1974 Interview - Part 5

INTERVIEW BY STEVE ROSEN, MAY 1974
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——ピッキング・テクニックに関して、詳しく解説して貰える?
RF:人間には、手が2本ある。だからその両方を使う、という前提に立つことがまずひとつ。次に、ピッキングを担当する右手は、左手よりも重要である、と考える。たまたま私自身は左ききなのだが、それでも右ききのポジションでギターを演奏する。ほぼ全ての人がそのポジションで演奏していたから、私も同じポジションを習得した、というだけなのだが。ギターを弾くようになって随分長い事になるが、今でも逆(レフティー)でギターを持てば、ギター初心者というものがどう感じるかを経験することができる。15歳のころ、右手親指の付け根部分をブリッジに当てて、そこを支点にしてそれぞれの弦を交差するようにピッキングするという方法を修練するようになったのだが、フェンダーのギターを試すようになった際に、フェンダーのギターにはブリッジがない、それ故私の技法は困難を極めた。そこで、71年から右手を浮かせるようにし、どこにも支えられてない状態でコントロールするように務めた。これでクロス・ピッキング自体は容易になったが、さらにプレイの難易度は高くなってしまった。私もこのスタイルで完全に意志通りのプレイができるようになるまで3年を費やしてしまった。私は自己開発のためにはテクニックこそがその基盤となる、という考えを持っているので、あと5年もすれば私のプレイはより滑らかに、流れる様にプレイできるようになるだろう。またそれと同時に、私の左手親指は常にネックの裏の中心部に位置している。これが私のフィンガリング・スキルの基本となるものだ。故に、私の左手、一般にクラシカル・ポジションと呼ばれる私のスタイルはそれほどいままでと違いはないが、右手のオペレーションに関しては完全にブリッジから浮かせて多彩なコントロールをできるようにしてある。
——いつも、どんなスケールを使ってる?
RF:基本として、ダイアトニックのメジャー・スケール。次に、そのメジャー・スケールと混ぜて使うことのできる、ルート音を下げたドリアン・モードを。それから、マイナー・スケールを。ホール・トーン・スケール(全音音階/オクターブを6つに均等分割したもの)を使うのも好きだ。だが、どんなスケールかは大した問題ではない。どんな音楽を作るか、に全ては依存するのだ。たしかに、メロディーをもとにして想像力を想起させることは、ベストな方法のひとつとも言えるが、「素晴らしいメロディーだ」「素晴らしいコード・チェンジだ」なんていう部分がちょっとあるというくらいでは、満足できる楽曲の完成にはほど遠い。これは私が完全に、圧倒的に断言できることだが、キー、スケール、すべてを変えて、それでも同じように演奏できるように、という練習をしたとしても、ステージの上に立った瞬間に、それら練習で学んだことを全て忘れてしまえば、それだけの話だ。私は音楽の練習において、そういった形にハマった練習方法というものを、認めることはできない。


※「精神異常者」の元になった、ということになる、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップの「ERUDITE EYES」。うーん、あまり似てませんが、先生がそう仰るのなら、多分そうなんでしょうね(笑)。
——キング・クリムゾンのあらゆる素晴らしい楽曲群が作られる上で、もっとソロを弾きたいとか、即興でインプロを入れたい、と思うもの?
RF:場合による。いくつかの曲、たとえば「21世紀の精神異常者」のような場合は、そういうプレイをするために作曲したものだ。その意味で、私が初めて作った曲は、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップの「ERUDITE EYES」だった。「精神異常者」は、そこから更に論理的な発展を経た曲、とも言える。キング・クリムゾンが今ライヴで演奏する音楽とは、言うなれば「ビル(ブラッフォード)、とにかく音楽をスタートさせてくれ、後はお前さんについていくよ」といったようなものだ。ただし、メンバーが皆お互いの演奏をそれほど注意深く耳に入れないこともあるので、そうそう自由にインプロビゼーションできるわけでもなく、限られた場合のみそれが可能になる。またインプロを繰り広げる相手、その組み合わせによっても、それはまた違った配慮が必要になる。
——ギターではない他の楽器が、ギターに変わってメインとなることもある?
RF:クリムゾンのレコードを聴けばわかると思うが、ギター・プレイなどというものは、クリムゾンが行なっている物事の中ではいつも、ほんの小さな一部分にしか過ぎないのだ。その理由ともいえるひとつには、他のミュージシャンがどんな展開を繰り広げるのか、どう発展していくのかを開発することこそが、私のささやかな幸せでもあるからだ。それ故私の役割というものは、その場全体のオーガナイザーといったものに近いだろう。しかしながら、同時は私はギターを演奏する。だから、他のメンバー達が私自身のプレイにそれほど興味を示してもらえないようなことがあれば、それは私のフラストレーションになる。
——プレイする際に、手にはオイルとかパウダーの類いは使用する?
RF:ライヴの際には天花粉(註:最近の方には馴染みが薄いかもしれませんが、昔のベビーパウダーのこと)を使ったりもする。でも殆ど使わない。それほど手に汗をかくタイプではないので。むしろリラックスするために使ってみる、という目的のほうが大きい。プレイするためには、リラックスすることが必要だ。自分の手と頭、その相互関係でこなす仕事だから。もちろん家にギターを置き忘れるようなことのないようにするためにもリラックスは必要なのだが。たいていのギタープレイヤーは、たった1本の弦を1時間も2時間も演奏することに神経を注ぎ、その音を必死に耳で確認しようとしてしまいがちで、その次に鳴らすべき音を忘れてしまってる。
——「21世紀の精神異常者」の間奏では、もの凄い速弾きを披露してるけど、あれはどうやって?


※ご承知の方も多いと思いますが、実は60〜70年代のキング・クリムゾンのライヴ映像というのは極めて少ししか残されていません。「精神異常者」に関して、ほぼ唯一、と言っていい程に残されている当時の映像がこちらですが、これもフルの映像はありません。69年、ハイドパークでのライヴで残されたライヴ動画。ピッキングの参考には一切なりませんが(笑)とても貴重な映像です。
RF:ピックをダウン&アップ、それだけだ。ピッキング・テクニックというものは、オン・ビートの時にダウンで、オフ・ビートの時にアップで、というのがベーシックな考え方だ。それをあえて逆に使う人もいるが。私の場合はダウンビート(註:譜面的解釈でいえば2/4拍目。ただし概しては強い拍のタイミングを指す)の際にはダウン・ピッキングを用いるが、例外的に、それまでの流れの中でフレーズにアクセントを付けたい場合、またはアクセントがあちらこちらに存在する中で、シッカリとアクセントの場を表現する場合、そういう時にはあえてアップ・ストロークからスケールランを開始する場合がある。私はマンドリンの技法でもあるフォロースルー・テクニックも同時に用いる。弦が変わっても、ダウンストロークの場所であっても。たとえば、誰かが4つのノートを演奏したとしよう。誰かが16分(音符)でそこにあわせるとする。私ならその際に、弦を変えても(註:たとえば3弦/4弦を交互に、という意味)もしくは同じ弦をアタックし続けるとしても、ダウン/アップ/ダウン/アップ、というピッキングを推奨する。言い換えるなら、誰かが弦を移動させた時に、もしアップストロークを使うのであれば、それはリズムの流れを止めてしまうのだ。もしピックを使わないフレーズの場合、この問題においては多少のアドバンテージがある。アコースティック・ギターをプレイするのであれば同様にアドバンテージがあるが、左手の押弦にはとても注意深いケアが必要となる。多くのフレーズを、ダイナミクスを十分に生かして、そしてリズミックに演奏する、その為には、少なくとも私にとってはピックは不可欠なモノだ。これは演奏技術の熟練のために回答したのであり、本来ならば、どんな場合においてもやりたいようにやればいい、というだけだ。全てはどんな音楽をフォローするかによる問題であり、あの方法がダメこの方法がダメ、といいたいわけじゃない。音楽の熟練と拡張のために、音楽のスキルを使う、ということだ。ところで、どうやって速く演奏するかって? 地獄のように練習するだけだ。


※写真は72年、イエスのドラマーだったビル・ブラッフォードがキング・クリムゾンに参加する旨を伝えるメロディーメイカー紙の1面。
——いつもどうやって、どのくらい練習してるの?
RF:プロのギタリストになろうと思ったとき、仕事はまったくなかったのもだから、3日間ぶっ通しで、1日12時間はギターを弾いてた。69年にアメリカに渡ったときも、1日に6〜9時間は練習するようにした。日々の練習として色んなスキルを全部やる、というわけではない。日々の鍛錬で最も重要なのは、しっかりとエクササイイズ(肉体的な運動)する、ということだ。もし君の雑誌の読者達が楽器を演奏できるようになりたい、と考えているのならば、とある一定時間のトレーニング・システムを組んで、それに取り組む必要がある。また、それを毎日続ける必要もある。そうでなければ、何ら達成感を得ることはないだろうし、もしその方法を続けたとしても、達成感は急に訪れるものでも決してない。先ほど言った状況での練習方法を続けても、なにかしらの向上も自覚できるものではないだろう。しかしある日、プレイヤーとして、もしくはひとりの人間として、何かを成さねばならないというシチュエーションに立ったときに、それが出来るようになるのだ。その時に彼は気付くことになる。そのシチュエーションに出会った時というのは、そのシチュエーションを克服できる時なのだ、と。そしてそれまでの何年もの長い時間をかけたハードな練習の積み重ねは、無駄ではない、と実際に感じることになるだろう。何ら、無駄な時間などない。全ては「何を望むか」に関連するということだ。私はギター・プレイに関して、ある部分では、肉体というものと人格、魂、精神というものを結びつける役割を担う、とも考えている。バンドで仕事をするということは、魔法を生み出すためにはなかなかいい職場でもある。わかるだろう? 私は自分をミュージシャンだとは考えていないんだ。


※フリップが立った!(笑)
もう一度言おう。先ほども言ったように、私はギターという楽器は極めて非力な楽器だと考えている。自分の持ってるツールを手に取り、使い、出来る事を為す。自分の演奏に最も影響をもたらすものというのは、他ならぬ自身の心の有り様なのだ。つまり、もし1週間練習をしなければ、1週間その人の筋肉は動いていない、という肉体の問題とも関連する。私はギタリストになることよりも、ミュージシャンになることに関心を抱くタイプだ。ミュージシャンでいるということは、音楽を生み出すことを意味し、ギタリストであるということは、ギターを弾く人を意味するが、それは音楽を生み出すことに直接関係のない仕事だ。しかし、私はギタリストである、という役割を全うし、そこから学ぶという経験も持ったことがある。イギリスのロキシー・ミュージックというバンド出身のブライアン・イーノと私の共同作業で、アトランティック・レコードのために『NO PUSSYFOOTING』というタイトルのアルバムを作ったのだが、これは私が行なった活動の中では最も表現力にあふれたアルバムだ。それはギターの音しか入っていない。しかし、収録曲「HEAVENLY MUSIC CORPORATION」等は、たった2本のギターから生まれたサウンドのコラージュでビルドアップされた曲なのだが、まるで50本のギターが一カ所で同時演奏されたかのような効果を生み出している。


※フリップ&イーノ、という奇才2人によるジョイント・アルバム「NO PUSSYFOOTING」は73年発表。こちらの動画はその収録曲ですが、すでにこれだけで21分あります(笑/アルバムは全2曲)。
——自分がミュージシャンだとは、一度も思ったことはないの?
RF:たまには、(バンド等の)形式が活性化した時などはそう思えることもある。21歳の時に、私は音楽というものを聴いていないのではないか、音楽それ自体にそれほど興味を持っていないのではないか、と気付いた。以来、音楽を聴くという行為に興味を抱くようにはなったが、ある典型的なシチュエーションの中でギター・プレイヤーになりたい、とは思わなくなった。今私が言ったポイントは、私の立ち位置から見える音楽の姿のことであり、それは他の人々の多くが見ている音楽の姿ではないのだろう。私が言いたいのは、私の人生にとってもっとも重要なこととは、ハーモニーを生み出すことであり、そのハーモニーの組み合わせから成るとある場所へ、と聴く者を誘う音楽を作ることだ。

Interview by Steven Rosen in 1974. / Article written in 1974, revised in 2013.
Translated by Tats Ohisa. ©2013 Steven Rosen / Buzz the Fuzz

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11.08.2013

Robert Fripp 1974 Interview - Part 4

INTERVIEW BY STEVE ROSEN, MAY 1974
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※当ブログでも既に何度も掲載しましたが、74年のフリップ先生のペダルボード。詳しくは別項にて記載したいと思いますが、この時点での使用ファズはギルドFOXEY LADYで、中身はトライアングルBIG MUFFとまったく同じもの。またワトキンスCOPICATを2台使いしてますね。フリップ先生はギターのインピーダンス変換のためにギター本体のツマミではなくボリューム・ペダルを活用してます。インタビューには出てきませんが、上の写真では西独シャーラー製のボリューム・ペダルを使用。
——ピックとか弦は、どんなのを使ってるの?
RF:三角(オニギリ型)の鼈甲ピックで、あまり固くないもの。私にとってピッキング・ワークこそが重要なものなので、ハードなプラスティック製のピックは私には使えない。弦は、ジョン・アルヴェイ・ターナー(註:イギリスの老舗弦メーカーで、主にアコギ用の弦、バンジョー、マンドリン等の弦を取り扱うブランド)のライトゲージを使うが、3弦の部分だけはミディアムゲージの2弦用を用いる(註:当時はライトゲージでも3弦は巻弦でした。それをいやがって、3弦でもプレーン弦を用いたという意味)。殆どのギタリストが重要視することではないが、細い弦だとあまりにも緩いテンションのために正確なピッチを紡ぎ出すことが難しい。しかし私は3度や10度といった和音を多く使うものだから、どうしてもセットのままでの3弦を使うことが許せなくなったんだ。昔は、弦高もなるべく低くしよう、と考えてたものだが、最近ではもっと高く、中の上、というくらいになったね。
——どんなペースで弦は交換してるの?
RF:大抵の場合は、2度ライヴをやった後に。昔は1週間くらいは放ったらかしにしていたが、時間とともにどんどん弦のエッジがなくなっていくと気付いてからやめるようにした。キング・クリムゾンで、もしくは熱意をもって取り組めるスタジオ・ワークでプレイする際には、私は2日おきに弦を変える。
——アコギとエレキの場合では、大きくかわるもの?


※既にご承知のとおり、フリップ先生はアコギの名手でもあります。ただし74年当時はアコギに活路を見出していなかったのでしょうね。後にフリップはクリムゾン解散後に「ギタークラフト」というアコギ学校を開設(生徒は全員オベーションのアコギを使用して授業に参加しています)。まあ、そちらも「演奏ではなく、精神修養の場」とのことなのですが(笑)。
RF:アコギで私が夢中に演奏できたのは、マーティンだけだ。そう、(エレキギターとは)まったく違った楽器といえる。なんといっても全く違う時間感覚を操る楽器だから。エレキギターの場合はコンテンポラリーな楽器で、電気の力を使うことで、それこそ未来へと繋がる楽器だ。しかし、未来においてアコースティックギターがどんな立ち位置にいるのかは判らない。また、演奏する上においても技術的にはまったく違った体系を持っている。もしアコギ・プレイヤーがいれば、彼にとって最初の課題はどんな「音」を出すか、だろう。ロック・ギタリストがアコギを弾く場合の音は、いつも酷く堪え難い程に貧相な音だ。アコギを弾くという行為は、それだけでアートと呼べるようなものなんだ。ただシンプルに、アコギでローポジションを使ってCメジャー7を寂しげに鳴らす、それだけでもう明白に理解できるハズだ。しかしエレキギターの場合がどうかと言えば、寂しげもクソもあったものではない。少なくとも同じようには響かない。アコギには1つか2つ、とても興味深い側面があって、それはそのアナクロ主義、なのだ。既にもうコンテンポラリーな世界に存在する楽器ではない。今日的な効用を考えればエレキギターこそがやはり創造性を保持した楽器なのだ。
——アコースティック・プレイヤーの音楽はあまり聞かない?
RF:ジュリアン・ブリーム(イギリス出身のクラシック・ギタリスト)は好きだよ。
——いつもトーンとスイッチはどういう位置に定めてるの?
RF:音楽がどんな音を必要とするか、による。ボリューム・コントロールのために、私はフット・ペダルを使う。ギターのボリュームをフルにした時に初めて正確な出力インピーダンスというものが得られる。その場合私はギターのボリュームはフルにしたままだ。10、という意味だな。しかしそこには例外があって、ギターのインピーダンスを変えることによって、私はエレキギターを使いながらもまるでアコギのようなサウンドを生み出し使うことがある。その場合、ギターのボリュームは6〜8といったポジションにする。8.5といったポイントを越えれば、インピーダンスは一気に変わる。そのインピーダンスの跳ね上がりこそが、サウンドのバラエティーを生み出すのだ。そのために、ギターではなく、フット・ペダルにてボリュームを操作する。


※なんと、こんな恐ろしい写真が登場しました。こちらは伝説的、というかペダルボード制作の第一人者ピート・コーニッシュが自身のフェイスブックにアップしていた写真で、1973年のロバート・フリップのペダルボードのアップ画像です。まず一見してわかるのは、ペダルは全部外部フットスイッチでオンにするようになっていますね。おそらくトゥルーバイパスにするためかと思います。上のボードは一番上で掲載した74年のTVライヴでも使われていたもので、ファズがFOXEY LADY、真ん中のボリューム・ペダルが(おそらく)FARFISAのもの、左がワウ。ワウはおそらくCRYBABYだと思われるのですが、筐体の塗装がはがされており、ラバーの形から推測すると67年英国製のVOXワウ(グレーハンマー塗装)の可能性もあります。ただしピート・コーニッシュが何らかのモディファイを施した可能性もあるので、何とも断言できません。©2008 PETE CORNISH

※下の写真は翌74年に制作されたサブのボード、とのこと。ファズは同じくFOXEY LADYで、真ん中のボリューム・ペダルはディアルモンド製、左のワウはCRYBABYなので、ほぼ同じセットを用意していたことがうかがえます。©2008 PETE CORNISH

——そのボリューム・ペダルはどんなもの?
RF:私の知る限り、一番安いモノだよ。そして私が使った限りでは全ての面で納得のいく効果を生み出すものだ。たしかFARFISA(by CMI)のペダルだったと思う。私が使った中ではベスト・ボリューム・ペダルだね。完全に音をオフにできて、しかも可変幅もワイドに操れる。素晴らしいペダルだよ。ステージ上では、私は3つのペダルをボードに設置する——ボリューム・ペダルと、ファズと、ワウ。まあファズとワウはゴミみたいなものだが、ワウはどんな種類のものなのかはわからない。最も素晴らしいと思ったファズは、バーンズのBUZZAROUNDだ。イギリス製で、もう既に6年程前に廃盤となってしまったペダルだ。私は2ケ持っているが、今ではもうそれをペダルボードに組み込むことはなくなった。ペダルを増やそうとすれば、ケーブルもどんどん長くなり、それにつれて音は劣化し、音量も小さくなる。ゲインも減少する。ここで重要なのは、ワウとファズはノックオフ・サーキットにすることだ——言い換えるならば、通常演奏するときは、ボリュームはフルの状態で信号が送られ、そしてファズとワウを使うサウンドに切り替える場合は、別のラインを通じてファズとワウに繋がるようにするのだ(註:ようはABボックス、もしくはスイッチャーのような機能を使って、エフェクトOFFのときはペダルを経由させない、という意味)。ファズやワウを使わない時は、サーキットにそれらの回路を関与させない。そうすることで信号の経由もシンプルに短くなり、信号のレベルもキープできる。私はワトキンスのCOPICAT(テープエコー)も使用するが、まあなかなか悪くはないのだが、取り立てて素晴らしいという機材でもない。私が望む機材としてはそれで十分なのだが、それほどテープエコーに関しては種類が豊富なわけでもなく、エッジが失われないことはいいことだ。ステージの上で、特にホールで演奏する場合の出音というものは得てしてデッドに鳴りがちだからね。ファズに関しては、どんなものでもそれほど構わない。他に気にするポイントが山のようにあるから。
——でも、あなたのサウンドと同じサウンドを欲しがる人にとっては、どんなファズを使っているかは重要なんじゃない?
RF:いや。私はどんなファズを使用したとしても、同じようなサウンドを出せるのだから。それは機材の問題ではない。
——ライヴ盤『アースバウンド』ではそれほどワウを使ったプレイをしていないようだけど、なぜ?
RF:ワウを使ったプレイというものが、すっかり「普通で退屈な行為」になってしまった。私にとってはくだらないものに映ったからだ。


※正確な年代が不明ながら、69年か、70年、と思われるスタジオ写真。バーンズBUZZAROUNDが見えます。また、この時点で既にハイワットのスタック・アンプを使用していることも確認できますね。
——自分の音楽が、楽器/機材(の流行)のせいでなにかしらの犠牲を支払うことになってしまった、と?
RF:まあ、そうとも言える。あー、いま君が言ったように感じることも確かにあるよ。もしだれかが陳腐な音楽を演奏をしてたとして、その演奏者が「よし、もっとエキサイティングにしてやるぞ」と感じたときにワウを踏む、なんてことはしばし見る機会があるだろう。だがそれは「逃げた」と言えるのではないか? もしそう思ってワウを踏んだら、それは「逃げ」だ。時によっては、私も演奏力の足りない部分を補うために、機材を使っているが。
——アンプはハイワットのスタックだよね。
RF:いろんな多面性をもったアンプだからだ。私がサウンドを変えたい、と思った時とても有用なアンプだとも言える。また、エレキギターには本当は真空管アンプは不向きだ、とも考えている。キャビネットはエレクトロ・ヴォイスのスピーカーをセットした、新しいものをカスタムメイドしてもらったのだが、これには感動したね。昔はマーシャルも使用したのだが、まあその時はマーシャルでもよかったのだけれど、ハイワットを試してからは、よりそちらの多面性に興味を持つようになった。ライヴで轟音を鳴らす、というだけならまあマーシャルでも十分だと思う。ここ最近は皆が一様にマーシャルを使うわけでもなくなったよね。今後は皆、ハイワットのような音に移行するんじゃないかな。


※実は検索しまくったのですが、FARFISAというブランドのボリューム・ペダルで、フリップ先生の足下にあるものと同じ形のものを発見できませんでした。もしご存知の方がいらっしゃれば、ご教示いただけれると嬉しい限りです。写真は同ブランドのボリュームペダルですが、別の形、ですよね。同社はオルガン用のボリュームペダルを多数発売していたり、トレモロ機能付きボリュームペダルなんかもあったりするのですが、詳細は不明です。ギターの歪みをボリュームでコントロールする場合、入力/出力インピーダンスの数値が重要になりますが、インタビュー文から察するに、おそらくフリップ先生の音のキモはそこ(ボリュームペダル)なんじゃないか、と睨んでいます。
——アンプとギターの接続は、どんなカンジ?
RF:アンプはブリリアント・チャンネルにプラグインしている。そして、ノーマル・チャンネルにもジャンプさせる。言い換えれば、ブリリアント・チャンネルの信号をノーマル・チャンネルでも鳴らすことになる。これでボトムの成分を追加することができる。ハイワットは、ブリリアント、ノーマルの両方のチャンネルでボリュームをコントロールでき、さらにマスター・ボリュームで全体の音量を調整できる。もしクリーンなサウンドを出すという場合は、チャンネルのボリュームを控え目にして、マスター・ボリュームを上げる。トーンをハッキリと変えたい、という場合は、2つのボリュームの中間にあるレシオ(トーンつまみ)で変化を付ける。歪んだ音が欲しい場合は、各チャンネルのボリュームは共に上げて、マスターボリュームを下げる。これで、小さな音量であっても十分に歪みを得られる。また、ギターのボリュームをフルにしていたとしても、歪み量を調整することができる。
——あなたのギターは、ピックアップ・カバーが3つとも外されてるよね?
RF:グレッグ・レイクが教えてくれたんだ。そっちのほうがいい音になる、と。私本人にはどっちがいい音なのかいまだに判ってはいないのだが、一度外してしまったものだから、以降そのママにしてある。戻すのが面倒くさいだけだ。


INTERVIEW BY STEVE ROSEN, MAY 1974
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